相撲デスクでおなじみの日刊スポーツ・佐々木一郎さん①

おすもうに必要な道具や装束などを作る職人さんや、おすもうを広く世間に伝えるメディアの人達などなど、おすもうに携わる「おすもう人」に、仕事やすもうに対する思いを聞きました。第1回目は「相撲デスク」としてもおなじみの、日刊スポーツ・佐々木一郎さんの登場です!

佐々木一郎 ささき・いちろう
日刊スポーツ新聞社 編集局 東京五輪パラリンピック・スポーツ部 次長
サッカー、オリンピック、大相撲担当記者を経て、現在は大相撲などのデスク担当に。「月刊相撲」(ベースボール・マガジン社)で連載中の「稽古場物語」では、自身の筆による相撲部屋の俯瞰イラストが大好評。ツイッター@Ichiro_SUMO

担当したスポーツのなかで一番はまったのが相撲

――日刊スポーツに入られて、すぐに相撲担当だったのですか?

いえ、実は相撲担当はまだ短くて、2010年3月からなんです。朝青龍関の引退直後くらいからですね。それまではサッカーやったり、オリンピックやったり、いろんなジャンルを担当して、バンクーバーオリンピックの取材から帰ってきたら、相撲へ、ということで。

――もともと相撲はお好きだったんですか?

好きでしたね。おじいちゃんが好きだったんで、一緒に見に行ったりしてました。とはいえ、詳しいわけではなかったんです。でも、いざ担当してみたらおもしろくて、担当したスポーツのなかで一番はまったかな。たまたま現場のキャリアも最後だったので、ある程度仕事の仕方がわかった状態で入ったというのもよかったかもしれないです。

――やはり独特の世界でした?

そうですね。よくいわれますが、“顔”*1がないと仕事がしづらい世界。しかも僕が入った当初は相撲人気も低迷していた時代で、ただでさえ顔がない人間がいろいろ取材をするのは大変で……。

ただ、最初が苦しかったぶん、だんだん取材ができるようになる喜びっていうのはすごく感じられたので、頑張れたところはあるかなと思います。あと、やっぱり奥が深いですから、やればやるほど、わかるようになってきて、おもしろくなってきましたね。

――相撲記者クラブだと、どこでも顔パスなんですか?

基本的には入れます。理事室などは、僕が担当になるちょっと前からだめになったようですが、昔はそんなところも出入りしてたみたいですよ。

あとは取材パスがあれば、朝稽古も見に行けます。ただ、ある程度話を聞く場合は、あらかじめ声をかけたほうがいいところもあります。ごく一部ですが、稽古を非公開にしているところもあります。

――記者さんによって担当の部屋は決まっているんでしょうか?

なんとなくは決まっている、という感じです。

日刊スポーツの場合は東京に3人、大阪に1人、現場記者がいまして、各場所の番付発表(本場所初日の13日前)後は、その場所のあるところに全員が集まって取材を始めます。東京の3人は場所のないときも取材をしたり、誰かしら巡業について行きますね。

なんとなくこの記者はこの力士に強いっていうのがありますが、決めすぎると融通きかなくなることもあるので、がっちりと担当がついたりはしません。

例えば、誰かと誰かが優勝争いをしたときに、その二人には、この記者一人しか顔がきかないようだと、取材できなくなっちゃう。みんなが責任をおっつけあってしまうといけないというのもあります。

この人はこの力士に強いというのは自然に決まる感じですかね。手が合う合わないっていうのもありますし、なんかのきっかけで急に仲よくなったりしますからね。

――記者同士のつながりってあるのですか?

限られた世界なので、当然顔見知りにはなります。ただ、難しいところですが、相撲に限らずなれあっちゃだめだし、ライバルでもあるし。そこらへんは気をつけつつ……ですね。

でも、支度部屋の限られたスペースで、ぼそぼそ小さい声でしゃべるお相撲さんもいるわけです。そういうとき、同じ現場に首つっこんでる者同士なんだから、聞こえなかったからちょっと教えてってのは、現実問題ありです。他紙はライバルだから口きかないってわけにはいかないですからね。持ちつ持たれつの部分もあります。

どれだけ単独で話せるチャンスをつくるかが問題

――記者として工夫されている部分はどんなところですか?

個人のがんばりが結果に現れやすいですからね。あたり前ですが、ちゃんと準備して話を聞きに行くとか……でしょうか。

あと、新聞の難しいところは、毎日出るものなので、記事になりやすいところに行く傾向があるわけです。そうするとメディアが集まるところに、その他大勢の一人として行く機会しかなくなってしまいます。すると、ほかのメディアと同じことしか取材できなくなってしまう可能性があるんです。そこで、いかに単独で話を聞けるチャンスをみつけて話を聞くか、が大事になってきます。

その他大勢の一人だと、なかなか顔も覚えてもらえないですし、自分が聞きたいことばかり聞ける状況でもないですし。

じゃぁ、例えば稀勢の里関と一対一で話を聞けるチャンスがどれだけあるかっていうと、めったにないものじゃないですか。となると、横綱になる前に、いかに人間関係を築いておくか、というところが問題になってきます。

そこは個人の努力でどう工夫するか。巡業の時間はおすもうさんも自由な時間があるし、そこを使うのか、部屋に通うのか、ごはん食べに行きましょうと誘うのか、付け人をきっかけに近づいていくのかとか、工夫のしどころかなと思います。

――記者としての辛さはありますか?

新聞記者としては、万が一、何か問題があったときに、僕らはときに厳しいことを書かないといけないときもあるかもしれません。そのときに何ができるかって常に考えておかないと、と思っています。そこでペンが甘くなることがいいのか悪いのか、そこは辛いですよね。

――相撲について、どのように情報を集めたり勉強されたのでしょうか?

昔のことは本を読んだり、DVDを見たりしました。DVDになっている力士は今は親方だったりするので、ご本人に話を聞いたりすれば、もうちょっと深みをもってわかることはありますね。

昔のことは勉強しても限りなくって……。伝統文化ですから。まだご存命の人の話は今のうちに聞いておきたいっていうのは強く思いますね。最近は亡くなられる方が多いから、その都度後悔します。千代の富士さんもそうです。オーラのある方で気さくに話ができるような人じゃなかったですが、そんなことで腰が引けてないで、突っ込んで聞いておけばよかったのかななんて。北の湖さんもそうです。昔のことを知るっていうのは、今ともつながってきますからね。

あと、日々起きていることは日々話を聞くしかありません。

――本場所中、記者さんたちのスケジュールはどんな感じなんですか?

場所中は、朝稽古の取材をしてから国技館に来ます。その間でランチタイムをとります。その部屋の近所か国技館の近所でささっと食べるって感じですね。

国技館に来るのは、昼過ぎ(幕下の取組が行われているくらい)ですね。もし、記事を書きたいって思っている力士の親方が木戸番とか審判をやっているときは、その時間に合わせて行くようにします。部屋で話を聞こうと思ったら、もう木戸行っちゃたとか……よくあるんで。時間をみながら親方捕まえに行ったりしますね。

――翌日の新聞用に原稿を書くのは取組がすべて終わってから?

はい。横綱が風呂から出てきて話を聞き終わると6時半くらいなんです。そっから、一から原稿を書き始めますから、校正が上がって確認するとなると夜の9時くらいにはなってしまいます。地方場所だとそこから街に出るという(笑)。でもいきすぎると、翌日はまた朝稽古からなんで……。

――現場の記者さんは、場所中は朝から夜までフル回転なんですね。でも、地方場所では、そこから夜の街へ繰り出されているところがさすがです!

つづく・・・・・・

*1 ちなみに、相撲用語でも「顔」というのは独特の使われ方をする。例えば、実力も貫禄も十分ではないことを「顔じゃない」と言ったりもする。

ツイッターのアイコン用に十両格行司の木村隆男さんに書いてもらった相撲字。右が初代、左が現在使用中のもの。

 

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