『相撲大事典』~現代書館・菊地泰博さん、金岩宏二さん~

相撲に関するあらゆる言葉を網羅した“角界の広辞苑”ともいうべき『相撲大事典』。日本相撲協会が全面協力、構想30数年、制作期間9年を経て完成したこの1冊は、ある男と男の約束のもと、地道な努力を重ねて2002年に第一版が刊行されました。今回はその9年間の制作秘話を、当初から制作に携わった現代書館社長の菊地泰博さんと、本場所中の国技館にて見事な売り口上で販売を担当する金岩宏二さんに伺いました。

東京での本場所中、毎日国技館で販売されている。販売を担当している現代書館取締役監理室長の金岩宏二さん。粋な浴衣は、相撲茶屋の出方さんからのプレゼントだそう。左手に持っているのは、当サイトでも以前紹介した『相撲茶屋のおかみさん』(横野レイコ著、現代書館)。

同級生との偶然の再会がきっかけ

-まず著者でいらっしゃる金指(かなざし)さんは、プロフィールを拝見すると経済学者さんなんですね。
菊地(以下/菊):はい。日本大学の商学部の教授でした。実は学生時代に私とサークルが同じでね。でも卒業後はぜんぜん付き合いがなくて、ある日、『日経新聞』を読んでいたら金指基という人が相撲コラムを書いていて。珍しい苗字だし同名だからもしかして? と思って電話したんですよ。

-金指さんは学生の頃から相撲好きだったんですか?
:いや、電話して「なんでこんなことやってんの?」って聞いたら、「いやいや、実は小さい頃から好きで」って言ってました。私は全然知らなかったんですよ。久々に話して、私が出版社をやっているというと、「実はこんなカードがあるんだけど、お前のところでなんとか形にならないか?」って相談をもちかけられたんです。

-カード?
:好きが高じて、テレビやラジオや雑誌なんかで相撲に関する言葉が出てくるたんびに、一語ずつカードに書きとめていたそうです。そんな手書きのカードが5000枚もあった。

-それで現代書館さんで出すことになった?
:いや。うちは社会科学や教育・福祉系の出版社だから、そういう本は無理だということで、相撲の雑誌を出している出版社やスポーツ系の本を出しているところにもちかけてみたんですが、実現しませんでした。そこで、正攻法で日本相撲協会に相談してみようということになったんです。

-それまでに相撲協会さんとはお付き合いがあったんですか?
:ありませんよ。当時の理事長さんの出羽海さんに手紙を書いたんです。

-元横綱の佐田の山さんですね!
:そう。理事長さんからぜひ会いたいと返事をいただき、カードを持って国技館をお訪ねしました。そしたら「これはすごいもんだ! ぜひやろう!」の一声で始まったんです。

-それがいつになるんでしょうか?
:1993年です。第一回目のミーティングはその年の12月6日の14時から。金指君と私、当時事業部長さんだった時津風さん(元大関・豊山)、その下にいらした放駒さん(元大関・魁傑)、相撲博物館の学芸員の村田さん、鈴木さんの6名で、あいうえおの「あ」から一語一語、検証が始まりました。

-検証はどのように進んだのでしょうか?
:金指君の原稿をもとに事実関係を確認していくんです。決まり手なんかは特に言葉で表現するのが難しくて、てにをはが違うだけで意味合いが変わってきます。それぞれ専門分野もありますから、髪形の話になれば床山さんに会いに行き、教習所の話なら教習所へ赴く。

-そのミーティングはどれくらいのペースで?
:週に2回くらいやってましたね。国技館の空いてるスペースで。理事長さんが不在のときは理事長室でやったこともありましたよ。あと、地方場所の時の方が、意外と親方衆は時間があるみたいで、名古屋や大阪にも何度か行きました。だいたい午後いっぱいかけてやる感じでしたね。時津風さんと放駒さんは最初から最後まで付きっきりで見ていただきました。

金指さんが作成したカードのコピーが編集部に残っていました。赤字は検証時に入れられたもの。

-現在の第4版では3665語収録ですが、最初に5000語あった中からどのように取捨選択がなされたのでしょうか?
:私は事典っていうのは言葉が多ければ多いほどいいと思うので全部載せたいところだったんですが、学芸員さんが言うには事実関係が確認できないものはダメだと。金指君のカードには出典が記されていなかったんですね。ですので、まずその出典を探す作業が大変で、見つかったとしてもその資料も何かを見て書かれていたりしますから孫引きの孫引き状態で、もうわからないことがいっぱいありましよ。その攻防戦といいますか、やりとりが大変でした。

-それは9年かかりますよね……。
:最初はね、カードがすでにあるし、これをまとめたらいい話だからすぐできると思ってたんですよ。それが、思ったように進まなくて。そして4年たった1997年に金指君が他界してしまうんです。亡くなる数日前に家に呼ばれて、後を託されました。男と男の約束ですから、途中でやめるわけにはいきませんでした。

 

金指さん亡き後、強力な助っ人現る!

-第一版の刊行が2002年ですから、完成には金指さんが亡くなられてから、それまで以上の時間を要するわけですね。
:ただ、彼の死後、偶然にも強力な助っ人が現れたんです。成澤さんという、大手出版社で辞書の編集をされていた方に手伝っていただけることになって。

-どういう経緯で知り合われたんですか?
:それは、いわゆる飲み友だちっていうかですね(笑)。ゴールデン街だったかな(笑)。ま、そんな経緯ですよ。私たちの会社では、それまで辞書は作ったことがなかった。辞書作りって同じ編集でも特別なんです。餅は餅屋で、成澤さんがまず項目を分類し直すところから始めて、辞書としての体裁を整えていってくれました。

-そもそも菊地さんも相撲が好きでいらっしゃったんですか?
:いや、見たことなかったんじゃないかな……。いや、一回くらいはあったかな。

-その程度だったんですね。
:ええ。歌舞伎は好きで見てたんですが、相撲も同じような伝統文化として見てたんです。でも、この本をやるようになって、それとは別にね、なんだろう……、実際に生で見てみると、やっぱり力士ってきれいじゃないですか。ハレの世界だし華やかで、肌のつやとかきれいで、鍛えた体っていうのはすごいなって感動しましたね。

-用語の検証を進めるなかで興味もわいてきましたか?
:出てきますよね。編集者ですから、言葉にまつわるいろんなことにも興味がわいてきて、例えば「びんつけ油」って出てくると、産地はどこだろう? どこのものが一番いいんだろうってどんどん話が広がっちゃって。

-一向に進みませんね(笑)。
:そうなんです。調べたって全部載せられるわけでもないのにね。

-編集作業で印象に残っているエピソードはほかにありますか?
:金指という男は非常にまじめな男でね。俺たちは事典をつくることが目的なんだから、それ以外の付き合いは一切しない、って言ってね。仕事の終わりに食事するとか飲みに行くってことはなかったですね。ちゃんこの写真を撮りたくて相撲部屋に出向いたときも、ちゃんこはごちそうにならずに帰っちゃう。私なんか、いい加減だからいいんじゃない?って思うんだけど(笑)。取材以外に国技館に行ってちょっと相撲を見させてもらうなんてことも全くしなかった。

-そこは一線を引いて。
:びっちり引いてましたね。

-でもその意思の硬さがあったからこそ、あれだけのものができたんでしょうね。
:そうでしょうね~。ずぶずぶになっちゃうとどうにもならんじゃないですか(笑)。

-さて、2002年にようやく刊行にこぎつけるわけですが、あれだけ膨大な情報量だとやってもやってもキリがない世界じゃないですか。これでよし、という判断をしたポイントはあったんでしょうか?
:ないんですよね。でも金指君も亡くなってたし、相撲協会のみなさんもどんどん偉くなっちゃって。時津風さんが理事長、放駒さんが広報部長に出世なされてて、もうそろそろ上げようよってことでね(笑)。そういう時期だったんですね。

-反響はどうでしたか?
:2002年の初場所の初日に協会が記者会見を開いてくれまして、記者さんたちにも1冊ずつ配りました。あと、NHKで解説されてる舞の海さんが、「我々にも勉強になるし、相撲ファンが喜ぶ本だ」って新聞で紹介してくださったんですよ。それで随分知名度が上がりましたね。

(上)現代書館さんのブースは国技館エントランスホールを入って左に折れたあたり。開場後すぐの9時頃から打出しまで毎日販売されています。金岩さんの軽妙なおしゃべりを聞くには午前中がねらい目。気候が良い時は粋な浴衣姿で販売。(下)国技館で購入した人が作って持ってきてくれたというポップ。本の素晴らしさゆえ、はもちろんですが、金岩さんのお人柄のなせる業!

今や国技館名物!? 金岩さんの売り口上

-国技館で販売されているのはいつからですか?
金岩(以下/金):初版を出版した当初からです。ただ、15日間毎日行くようになったのは去年くらいからですね。

-SNSなんかでも、『相撲大事典』を売ってる方のお話が面白すぎる!と話題になってますが……。
:この本は相撲ファンにとっては宝物のようなものだと思うんです。5000円もするし、重いし、二の足踏むのはわかるんですが、一生に一度会えるかどうかの一冊だと思うので、ぜひ手に取ってほしくて、国技館では半ば押し売りしてます(笑)。

-でも、その押し売りの時の説明がすごいって言われてますよ。私がお見受けしたときは、新序出世披露の行司さんの口上を空でおっしゃってましね。
:本当にこの本っていろんなことが書いてあるんです。相撲に関する事が全部載ってるし、まさに角界の広辞苑なんです。5000円は高いと思うかもしれないけど、まぁ、一回飲みに行ったとか、映画3本くらい見たと思えば、一生ものなんだから安いもんです。実際に、買ったお客さんが「押し売りで買わされたけど、本当にすごい本で一生の宝物です」って報告にきてくれるんですよ。

-お客さんが一緒になって売っておられるのも見たことがあります。
:そうなんです。一緒に「この本買ったけど、本当にいい本だよ」って言ってくれるの。

-買って行かれるのは老若男女問わずですか?
:はい。一番うれしかったのはね、小学生くらいの男の子がお年玉を握りしめて「この本が欲しいからお年玉ためてきた」って来てくれたこと。実際にご両親はすぐ後ろにいらっしゃったんですが、ご両親が買ってあげるんじゃなくて、その子が自分のお金をためて、自分で買いにきてくれたってのがね。ご両親も立派だと思います。この経験で、その子は本の大切さやお金の大切さを知ったと思いますね。

-ちなみに、国技館では場所中特別価格なんですね。
:そう。税込5940円のところが5000円で販売してます。

-それはぜひ買わなくては!ですね。
:多分、国技館で一番売れている本じゃないでしょうか。手前味噌ですが、本当に宝物になるような本なのでぜひ一家に一冊。

 

事典というと何かを調べたいときにしか見ないものですが、これはずっと読んでいられる事典です。調べたいときに開いたとしても、ついその次の言葉、また次の言葉と、面白くて読んでしまう……。そんな読み物としても大変充実した内容です。私たちおすもうさん編集部でも、『裏まで楽しむ! 大相撲』の制作にあたってフル活用させていただき、この事典をずっと膝の上に乗せて作業していました。片時もはなすことができず、一度引いたが最後、ついつい読みふけってしまって編集作業が止まってしまう……なんてこともしばしば。これからもおおいにお世話になるであろう、後世に残る一冊です。

『相撲大事典』(現代書館)
金指基著
(かなざし・もとい/日本大学商学部教授)
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