「横綱 72人の選ばれし者たち」関連講演~江戸東京博物館名誉館長・竹内誠さん

深川江戸資料館で開催された「横綱 72人の選ばれし者たち」の関連講演として、相撲教習所で相撲史を教えておられたこともある、江戸東京博物館名誉館長の竹内誠先生と、元押尾川部屋の力士で相撲甚句の名手・大至さんを迎えて講演が行われました。その模様をお2人のインタビューとともにお届けします。前回の大至さんインタビューに続き、今回は江戸東京博物館名誉館長・竹内誠先生のインタビューです。

品格も兼ね備えた真の大横綱といえば双葉山と大鵬
~江戸東京博物館名誉館長・竹内誠さん~

大の相撲好きで知られ、新弟子が通う「相撲教習所」では相撲史の講義を担当されていた竹内先生。今回は“横綱とは”、“横綱の歴史”、“私が聞いたり見てきた横綱”と、3つのテーマで講演されました。その中から、“私が聞いたり見てきた横綱”についてのお話をダイジェストでご紹介します。

(写真提供:深川江戸資料館)

“引き際の美学”にこだわった栃木山
栃木山はその名の通り、栃木県出身の第27代横綱です。大正7年5月に横綱に昇進してすぐに3連続優勝を飾ります。その後、2度目の3連続優勝を成し遂げますが、みんなが4連続優勝か!と期待していたところへ突然の引退宣言をしたのです。栃木山が言うには「みっともない姿は見せたくない」と。
その後引退して春日野親方になっていた栃木山は、引退後6年目の全日本力士選士権大会に年寄・春日野として出場し、なんと優勝してしまうんです。つまり、まだまだ力があるのに、あえて余力を残して引退を決意したんですね。
栃木山の弟子に第44代横綱・栃錦がいますが、栃錦が横綱に昇進した際に、栃木山(春日野親方)が言ったそうです。「横綱になるのは簡単だけど、引退する時期が難しいんだ」と。一般論として、横綱になるのは大変難しいと思いますけどね。

大横綱といえばこの2人。双葉山と大鵬
テレビや新聞などでは、よく“大横綱”という言葉を使いますが、私にとって真の大横綱は双葉山と大鵬の2人ですね。横綱とは、品格・力量抜群でなくてはいけないんです。力量はいわゆる数字。幕内通算何勝したとか、何回優勝したとか、わかりやすいものですが、品格とは何かが問題。例えば、土俵下で静かに取組を待ち、土俵に上がって全力を尽くし、勝負がつけば静かに互いに礼をして土俵を下りる。静から動、そしてまた静に戻る。勝っておごらず、負けた相手に敬意を表する。この礼節がまさに品格の真髄です。抜群の力量のみならず、この品格を持ち合わせていたのが、双葉山と大鵬の2人だったと思います。
大鵬さんは引退後に年寄となられて、相撲博物館の館長さんをされていた時期があります。私も、国技館のお隣の江戸東京博物館で館長をやっていましたので、大鵬さんから「ご同業になりました」と言っていただき、稽古のあり方などいろんな話をしてくださいました。

 

相撲の知識は下町の相撲好きから教わった
講演後の竹内先生に、小さいころの相撲の思い出について伺いました。

―先生が相撲を好きになったきっかけは?
戦前のことですが、当時すでにラジオ中継をやっていてね、相撲好きの商店の店主が自分の店先で表通りに向けてラジオをかけるんです。で、店の壁に力士の四股名を書いた木札を下げている。表は黒字、裏は赤字になっていて、勝負がついたら負けたほうが赤字になるように札をひっくり返していくんです。

―本場所中の電光掲示版みたいですね。
そう。そんなことをやってると道行く人が足を止めて聞き入っちゃう。そばやの出前なんかもついつい足を止めちゃう。すると、人がだんだん集まって、相撲好きが相撲講釈を始めるんですよ。それを聞きたくて、家でもラジオが聞けたけどわざわざ町中に聞きに行ってました。そこで力士の得意技などを覚えましたね。

―下町ならではの風景ですね。
私の近所は薬屋さんがそんなことをやってましたが、下町のあちこちでこんな風景が見られたんですよ。触れ太鼓も必ず来ていましたし、相撲がとても身近でしたね。そこで自然に相撲ファンになっちゃった。

―先生が子どもの頃は、身近な遊びとして相撲があったと聞きました。
子どものころに相撲を取った思い出としては、ちょうど戦争中でしたから疎開先の長野県でのことですね。小学校の体育の時間が相撲だったんです。みんなふんどしを締めてね。

―校庭に土俵を書いたりしてやるんですか?
それが、土俵があったんですよ。ちゃんと四本柱に屋根もついた立派な土俵がね。

―それはすごい。先生は強い方でいらっしゃったんですか?
生徒は土俵をぐるりと囲んで座るんです。向正面の東側から時計回りに横綱~大関と並んで、横綱の右隣がビリ。で、ビリとビリから2番目がまず取って、そこから勝ち抜き戦で上がって行くんです。私はちょうど半分くらいのところで低迷してしまいました(笑)。

―得意技とかあったんですか?
足取り専門です。体が小さかったから。

―だから足取り!納得です。戦後、長野県からご出身の日本橋人形町に戻られての相撲の思い出といえば?
両国の国技館が占領軍に接収されたので、明治神宮外苑などで興行していましたが、昭和二十四年の一月場所と五月場所は浜町公園に仮設の国技館ができ、近いのでしばしば相撲見物にいきました。羽黒山・照國・前田山・東富士の四横綱時代で、三根山・力道山・栃錦・千代の山・鏡里・羽島山・五ッ海などが活躍していました。このほか藤田山は「キューピーちゃん」の愛称で人気があり、中学三年の私はますます相撲にのめり込んでいきました。

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相撲のラジオ中継が始まったのは昭和3年。実はラジオ中継が始まる前は相撲人気が少し低迷していたのだそう。無料でラジオ中継が聞けると国技館へ足を運んでくれるお客さんが減るのではという意見もあったそうですが、蓋を開けてみると大盛況。相撲人気が復活したのだそう。そして、戦中戦後の娯楽の少ない時代も、相撲は場所を変えながら興行を続けていました。先生のお話を聞いていると当時の人々の相撲への熱狂ぶりが伝わってくるようでした。

横綱大鵬顕彰コーナー4周年記念展示「横綱 72人の選ばれし者たち」は10月4日で展示終了となりましたが、横綱大鵬顕彰コーナーは1Fロビーに常設で公開されています。深川散策がてら出かけてみてはどうでしょうか。等身大の大鵬パネルが出迎えてくれます!

深川江戸資料館
住所  :東京都江東区白河1-3-28
最寄駅 :都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」A3出口より徒歩3分
電話  :03-3630-8625
入館料 :大人400円、小・中学生50円(横綱大鵬顕彰コーナーは無料で見学可)
     *中学生以下のみでの入場は不可
HP:https://www.kcf.or.jp/fukagawa/

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