“森永賞”だけじゃない森永製菓と大相撲の深い関係

今回のおすもう人はミルクキャラメルでお馴染みの“森永製菓”。東京場所での一般投票型懸賞“森永賞”は相撲ファンにはよく知られていますが、その始まりは半世紀以上もさかのぼります。さらに、懸賞以外にもあった森永製菓と大相撲の関係についての歴史も振り返りつつ、森永賞の参加方法などもご紹介いたします!

 

大人気を博した相撲がテーマの新聞広告

 アメリカで洋菓子の製法を学んだ森永太一郎氏が、明治32年(1899)に森永西洋菓子製造所を設立し、日本の西洋菓子のパイオニアとなった森永製菓。看板商品でもあるミルクキャラメルは大正3年(1914)に発売され、大ヒット商品となりました。

 森永製菓と相撲とのつながりが見え始めるがちょうどそのころ。大正7年(1918)度の福岡日日新聞の新聞広告賞一等に入選した太刀山手形広告や、大正8年(1919)の星取表広告が大好評を博します。以後、昭和10年(1935)代まで相撲をテーマにした新聞広告がしばしば登場しました。とりわけ昭和13年(1938)~昭和14年(1939)、全盛期の第35代横綱・双葉山が連勝中に制作されたミルクキャラメルのポスターは大人気だったといいます。

 

星取表広告には、勧進元は松竹興行株式会社で11日間興行、堂島大橋北詰にて開催されたとある。

甘いマスクの双葉山の笑顔がたまらない!ミルクキャラメルのポスター。

新聞広告ではほかに、昭和28年(1953)西日本新聞にて、森永ミルクキャラメル1年分が当たる「森永相撲懸賞」を実施。クイズの答えを森永ミルクキャラメルまたは森永ミルクチョコレートの空箱に書いて応募するというものでした。ちなみにクイズは「第36代横綱・羽黒山は今までに何回優勝しましたか?」。答えは7回(幕内最高優勝)。

 

好角家だった三代目社長・森永太平氏が始めた“森永賞”

昭和20年(1945)代後半、当時社長であった三代目森永太平氏は、国技としての相撲愛好家であり、子どもから大人までが一緒に見る「大相撲」に広告的な価値や効果を見い出し、ミルクキャラメルの宣伝の場として森永賞を始めたといいます。
森永賞のスタートは昭和26年(1951)1月。当時、森永製菓はテレビの大相撲実況中継番組を単独スポンサーとして提供していましたが、単独スポンサーでは世界最大のプログラムだったとか。現在のように国技館来場者による投票で選ばれた好取組にかけられるスタイルとなったのは、昭和29年(1954)春場所から。

 

最近もっとも票を集めた一番とは・・・?

過去の懸賞全ての記録は残っていないそうですが、最近の取組で多くの投票を集めたものといえば、平成29年(2017)初場所、千秋楽結びの一番での稀勢の里と白鵬の一番。稀勢の里が綱とりの場所で、初優勝を飾った大一番。通常は平均して100~200票のところ、1032票を集め、館内4カ所に設置された投票箱が溢れていたとか。

≪森永賞参加方法≫
実施場所  :初場所、夏場所、秋場所の東京・両国国技館で開催される本場所
投票方法  :森永製菓のお菓子の空き箱裏に、その日の好取組と思う1番と住所、氏名を書いて館内4カ所の投票箱へ(投票箱はいずれも国技館1階、東1、東3、西1、西3扉近くに設置)。
投票締め切り:15時30分(千秋楽は15時)
投票結果発表:16時ごろ、十両の取組後の中入りの時間に発表。投票者のなかから抽選で3名に森永ミルクキャラメル10箱が贈られ、当選者氏名もこのときに発表されます。

賞品はこの森永ミルクキャラメル10箱!

“森永賞”の生みの親、三代目森永製菓社長・森永太平氏。日本相撲協会の諮問機関である運営審議会委員を26年間に渡って務め、相撲協会の発展に尽力。

森永製菓と相撲とのつながりは“森永賞”以外にも、化粧廻しの贈呈などにもみられます。昭和27年(1952)4月に第38代横綱・照國に贈られたのをはじめ、第41代横綱・千代の山など歴代横綱に贈られています。

千代の山へ贈られた化粧廻し。

画像提供・取材協力/森永製菓株式会社 https://www.morinaga.co.jp/company/

記事をシェアする

コメントは受け付けていません。