『利樹之丞の呼出し歴史講座』開催レポート〜その3〜

2019年10月3日に蔵前・厳念寺にて行われた『利樹之丞の呼出し歴史講座』、レポート最終回!土俵づくりや、櫓太鼓、伝説の名呼出しさんまで話題満載! 聞き手はもちろん、佐々木一郎さん(日刊スポーツ)です!

 

本場所、巡業、稽古場…すべての土俵は呼出しさんがつくる

佐々木:土俵築は呼出しさんの大切なお仕事です。すごい数を1年の間につくってるんですよね。

利樹之丞:年6場所の本土俵、相撲部屋の稽古土俵を年6回、巡業の各土俵、相撲教習所に3面ある土俵……今年でいうと359。本土俵は呼出し全員でつくりますが、あとは担当ごとにつくっています。相撲部屋の土俵は、お相撲さんにも手伝ってもらいますね。

佐々木:各部屋の稽古土俵を作るのは、どの呼出しさんが行くって決まっているんですか。

利樹之丞:一門に所属している呼出しがいきます。僕のいる高砂一門は部屋が5つなので比較的体に優しいですが、出羽の海一門とか二所ノ関一門になると、部屋数が多いので大変だと思います。

佐々木:そこは、一門外から手伝おうかとか、そういうことにはならないんですか。

利樹之丞:これがご法度なんですよね。よその一門の稽古場は、どんなに人手が足りなくても行っちゃいけないんですよ。

佐々木:高砂一門って皿土俵が多くてラクじゃないですか?

利樹之丞:ラクっていうとアレですれけれど…皿土俵というのは俵を入れないで、溝をほって段差をつけた土俵です。その部屋の師匠が俵で指が裂けちゃったとか、腰や脛を打ってケガをしたとか、そういうことがあったりすると皿土俵にすることが多いですね。それから皿土俵だと、残る割合が俵より低いから、皿土俵で踏ん張れれば、本土俵で残れるよ、という説もあります。

佐々木:考え方次第ですね。本場所と同じほうがいいという部屋もありますし。本場所の土俵築は、入門してからキャリアによって担当が変わるのでしょうか。

利樹之丞:はい。最初は土運びからやります。だんだん土俵の横の部分をたたく担当になったり。土俵上の仕事をするまでには、何年かかかります。

佐々木:ベテランになってくると、体力的にきつくなりますよね。50代以上になって土俵築のような肉体労働はなかなか大変だと思います。

利樹之丞:サポーターしたりしてやっていますよ。

 

LEDの照明が、土俵の仕上がりに影響!?

佐々木:土俵のよしあしは誰がチェックするんでしょうか。

利樹之丞:土俵築はリーダーを3人決めて、その人がチェックしながら行います。立呼出しは最終確認ですね。

佐々木:よく話題になるのがビール瓶の使い方なんですが、コツはありますか?

利樹之丞:ビール瓶がないと土俵はつくれないんです。俵をしばるとき、土俵に入れるとき、いろんな場面でビール瓶を使います。スーパードライの大瓶がベスト。瓶の厚さ、重さ、形、すべていいんです。

佐々木:おもしろいですね。土俵ができたあと、乾燥させるために吊り屋根をおろしますよね。

利樹之丞:土はもちろんいい状態でもってきてもらうんですが、やっぱり天気の関係で乾きが悪いときもあって、そういうときは吊り屋根をおろして、照明をつけてその熱で乾かすんです。屋根の下ろしてその高さで乾燥具合を調節します。乾きが悪いなと思ったら土俵ギリギリまで下ろしますし。あるとき国技館で「最近ギリギリまでおろしても乾かないね」って言ったら、照明が白熱灯からLEDに代わっていたことが判明しました。

佐々木:LEDが土俵にまで影響するんですね。本場所中に土俵に水をまくのは、どういうタイミングなのでしょうか。

利樹之丞:土俵の監督さんが決めます。名古屋場所は空調がガンガン入っていて乾燥しすぎてしまうので、場所がはねて帰る前にも水をまいたりしてますね。それでもヒビが入ることはあるので、若い呼出しが朝早く来て補修しています。土俵も生き物なんで、やっぱり環境に左右されますね。

佐々木:土俵がすべる、というお相撲さんもいますよね。

利樹之丞:地方場所ですね。国技館は「荒木田」という関東でしかとれない土を使い、地方場所はその土地の土を使っていたんですが、力士からすべるって言われるので、東京場所と同じものを使おうということになって、今は年6場所すべて荒木田です。

佐々木:巡業をみていて大変だなと思うのは、本場所のような土俵ではありませんよね。

利樹之丞:巡業では簡易的な土俵を使います。土は15㎝ぐらいしか入っていません。巡業は本場所と同じ土ではなく、その土地の土を使うので、質が各所で全然違うんです。だからセメントを入れたりして固さを調節しています。本場所は土俵づくりに3日間かけますが、巡業は1日でつくるので突貫工事。土が早くかたまらないといけないんです。

佐々木:土俵の土台となる部分は持ち運ぶんですか。

利樹之丞:はい。簡易土俵は枠があって、枠のなかに固い発泡スチロールが入っていて、その上15㎝ぐらいに土を入れるんです。土だけだとめちゃくちゃ重いんで、体育館の床が抜けちゃうことがあるんですよ。床の耐久性の問題もあるんで、こういう土俵を使っています。

国技館の櫓が鉄筋になったのは平成7年

それ以前は丸太で組んでいた!

佐々木:巡業はお相撲さんも大変ですけれど、裏方さんも大変ですね。次に太鼓のお話を。櫓で太鼓を叩きますが、櫓はけっこうな高さですよね。

利樹之丞:五丈三尺、16m。巡業の太鼓実演のときの口上でそう言いますね。

佐々木:櫓の先から棒がのびていて…

利樹之丞:出っし弊(だっしぺい)っていうんです。土俵祭りの日に神様を土俵にお迎えしますが、その前にここに降りてきて、ここから土俵に行かれるという流れのようです。

佐々木:神様が立ち寄るんですね。触れ太鼓の絵もあります。

資料提供:国立国会図書館

利樹之丞:今とやってることがまったく同じですね。場所も同じです。

佐々木:触れ太鼓は今、何班にわかれてるんですか?

利樹之丞:5班ですかね。相撲部屋をまわりつつ、お店などをまわって。最近は銀座や日本橋の街のかたからお誘いを受けてまわっていますね。伝統文化への関心が高まっているのかなという気がします。

佐々木:私も触れ太鼓についてまわったことがあるんですが、結構楽しいですよね。地方場所だととても遠い部屋がありますが、どうするんですか?

利樹之丞:車移動です。

佐々木:相撲部屋はちゃんと回るんですね。

利樹之丞:相撲界では初日前日を「太鼓の日」と呼んでいます。呼出しだけじゃなくて、相撲界全体で。触れ太鼓がやってきて、いよいよ初日だって気持ちになるんです。

佐々木:お客様からの質問がきています。「櫓太鼓は怖くないですか?高所恐怖症の人はいませんか?」

利樹之丞:国技館の櫓は、今でこそエレベーターでのぼれますが、これは平成7年からで、それまではこの高さまで丸太を組んでいたんです。一切、釘を使わず、縄でしばって。だから雨が降ると縄がぬれて、それが乾燥すると緩むんです。スカスカに。それから当時は櫓を酉の日にたてるという決まりがありました。

佐々木:エレベーターができたときは、みなさん安心されたでしょうね。

利樹之丞:これができたときは大喜びでしたよ。僕は風情ないなって思いましたけど。

佐々木:安全より風情。

利樹之丞:そのころ、僕はもうあまり上がらなくなってたんで(笑)。櫓の上の床はすのこになってるんです。櫓太鼓は時間にあわせて叩くので、床に時計を置くのですが、すのこのすき間から落ちちゃったことがあって。で、両国駅の時計を見ようと思ったら、見えそうで見えない位置で(笑)。朝の太鼓は8時から8時半なのですが、8時5分ぐらいに落としちゃって、あとの25分は自分の体内時計が頼り。8時半前に終わったら早すぎるって言われるし、過ぎたら長すぎるって言われるし、困りましたね。時間前に終えて「手抜き」って言われるよりは長いほうがいいだろうって、ちょっとだけ多めに叩きました。

佐々木:その落とした時計は無事だったんですか?

利樹之丞:木端微塵ですよ。

佐々木:最近は太鼓がうるさいっていう苦情もあるとか。ちょっと悲しい話です。今日いらっしゃるお客さんでしたら、朝、寝起きで相撲太鼓の音が聞こえたら嬉しいですよね。

利樹之丞:テンションあがりますよね。両国で太鼓の音聞こえるとワクワクしますもんね。

 

利樹之丞さんが憧れた初代立呼出し、寛吉さんとは

 

佐々木:続きまして、名呼出しでみる呼出しの歴史。まずは、初の立呼出しの寛吉さん。寛吉さんは利樹之丞さんの入門のきっかけだそうですね。

利樹之丞:僕は出身山形なんですが、子どもの頃、山形の巡業で寛吉さんの呼び上げを見て、この方の声に憧れて入門しました。

佐々木:寛吉さんのどのあたりに憧れていらっしゃったんでしょうか。

利樹之丞:声、節回し、姿、姿勢、土俵上の歩き方、箒の掃き方、柝の入れ方、どれをとってもすべて完璧なんです。呼び上げに対する気持ちの入れ方というか思い入れというか、すべてが完璧だったので、この方に少しでも近づけるようにという思いでいます。

佐々木:寛吉さんが現役でいらしたときは、いろいろなお話を聞いたりされましたか。

利樹之丞:入門してすぐに、付け人につかせていただいたんです。地方場所に行くと、兄弟子さんのお世話をするんですが、そのときにおもしろい話を聞かせてくれるんです。寛吉さんが入門んされたのが、双葉山が69連勝でストップした昭和14年1月場所。寛吉さんは土俵のそばでその相撲を見てたんだけど、あらゆるものが客席から飛んできたそうです。今は座布団だけですが、灰皿とかも飛んできて。当時の国技館は回向院の隣にあったのですが、こわくなって回向院の裏まで走って逃げた、とか。説教じみた話ではなくて、おもしろおかしく話してくださるんで、楽しかったですね。

佐々木:寛吉さんが停年されるときは、利樹之丞さんになにかお話はあったんですか。

利樹之丞:そのときはありませんが、寛吉さんに言われた言葉でずっと覚えているのは「通る声を通す声にしなさい」と。「おまえの声は通る声だよ。それを通す声に変えなさい」と言われたました。当時はなにを言っているのかよくわからなかったのですが、最近、なんとなくわかってきました。

佐々木:わかるようでわからないような……芸術の域に達するようなお話ですね。ほかにも名物呼出しさんがいましたが。

 

太鼓、甚句……名をのこした名物呼出したち

 

利樹之丞:勘太郎さんという方は、回向院にある太鼓塚という歴代呼出しを供養するための墓を建てられました。太郎さんは太鼓の名人。「呼出し太郎一代記」という本が出ていますが、この方はとにかくはちゃめちゃな人生なんですね。太鼓を質に入れて、代わりに醤油樽を叩いたけど太鼓がうまかったから誰も気づかなかった、とか。はちゃめちゃですけど、叙勲されています。その太郎さんの娘さんと結婚したのが米吉さん。米吉さんは、粋でイナセでいい男で、かっこよかったですね。甚句の会を起こされた永男(のりお)さんも有名です。

佐々木:永男さんは相撲教習所で歌われる『相撲錬成歌』の作詞をされた方ですね。有名な相撲甚句も、永男さんがつくったものが多いですね。

利樹之丞:永男さんがつくって三郎さんが歌う、というこの2人はコンビでしたね。太鼓にしろ甚句にしろ、名を残されている方っていうのはすごいですね。呼出しは行司さんのように、名跡を継ぐというのがないので。僕の名前「利樹之丞」の「之丞」は、高砂部屋にいらした多賀之丞さんという方からいただいいています。僕の先輩で三平さんという呼出しさんがいるんですが、三平さんのおじさんにあたる方。多賀之丞さんもたくさんの甚句を作られました。

佐々木:甚句といえば、利樹之丞さんは作詞もされるし歌われますよね。

利樹之丞:高砂部屋はつねに甚句の歌い手がいたんです。多賀之丞さん、森の里さん(力士)、床寿さん(床山)。あるとき床寿さんに「おまえそろそろ甚句やれよ」と言われて始めました。作詞もやってみろって言われて、なんとなく。

佐々木:利樹之丞さんがこれまでかいた甚句で、これはよく書けたっていうのはありますか。

利樹之丞:縁がある人に向けてじゃないと、なかなか作れないですね。これまで6~70ぐらいは作っています。高砂親方が還暦を迎えたときも作って歌いました。

佐々木:そのときの動画はyoutubeにあがっていますので、ぜひご覧ください。さて、今スライドに出ているのは、多賀之丞さんが作詞された甚句で「新生日本」ですね。

利樹之丞:日本が戦争に負けたときにこの甚句をつくられて、戦後の地方巡業とか慰問とかでこれを披露していたそうです。戦争で負けて元気がない日本で、お客さんたちは涙を流しながら聞く、という光景があったと聞きます。最近も、終戦の日の夏巡業などで、大至さんが歌ったりしていますね。

佐々木:歌い継がれる名作ですね。

利樹之丞:今の時代とは違うかもしれませんが、先人のこういう支えがあって、今の相撲もあるんだなと思います。

ここで利樹之丞さんが「新生日本」をご披露!最後は拍子木による三本締めで大団円となりました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!大好評につき、第2弾、第3弾も続けていけたらと考えています!!お楽しみに!

利樹之丞-りきのじょう-(高砂部屋)
昭和48年生まれ、山形県酒田市出身。平成元年4月入門。令和2年初場所に幕内昇進。

〚聞き手〛
佐々木一郎-ささき・いちろう-(日刊スポーツ新聞社)
サッカー、オリンピック、大相撲担当記者を経て、現在は大相撲などのデスク担当に。自身の筆による相撲部屋の俯瞰イラストが大好評だった「月刊相撲」(ベースボール・マガジン社)の連載「稽古場物語」は、来年早々に同社より書籍化予定。ツイッター@Ichiro_SUMO

Photo:村尾香織

今回の会場は…

厳念寺 https://www.gonnenji.com/

建長5年(1253)武州足立郡槙村にて遊琳法印が「真言宗證誠山護念寺」として創建。覚如上人の教化により浄土真宗に。寛永20年(1643)に浅草鳥越村に移転し「厳念寺」を定める。その後大火などで移転しながら文化13年(1817)浅草新堀端に「證誠山成就院厳念寺」としてお寺をかまえ、現在に至る。仏教講座やワークショップ、各種イベントを開催する地域に開かれた寺院。

 

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