浅坂さんの「ニックネーム力士列伝」〜その4〜

伊勢ノ海部屋マネージャー・浅坂さんの連載第4回目!

大相撲の歴史に詳しい浅坂さんが、ニックネームから名物力士を語ります。

最近では、小兵の炎鵬が「ひねり王子」といわれるなど、その取り口などからキャッチ フレーズがつけられる力士も見られますが、明治〜昭和の時代は、ユニークなニック ネームの力士が多数。

そこで、おすもうさん編集部がニックネーム力士を独自に分類。浅坂さんの解説と、浅坂さん私物お宝画像でご紹介します!

今回のラインナップ
【人となり編】
●「神」部門
●リスペクト部門
●政治家系部門
●喧嘩がらみ部門
●お人柄部門
●「ちゃん」部門

【人となり編】
「神」部門

宿禰様
佐野山幸吉[前頭筆頭]
当時の二段目(現在の幕下〜十両にあたる)に12年いたという苦労人。その後、入幕 し、約9年間幕内で頑張った。力士仲間から「宿禰様」とよばれたのだから、元祖「相 撲の神様」かもしれない。
さのやま・こうきち 千葉県出身、佐野山→桐山部屋、初土俵:安政3年11月場所、入幕:明治2年3月場所、引退:明治10年12月場所

角界のルーテル
高砂浦五郎[前頭筆頭]
初代・高砂で、相撲の改正を訴え、除名されたのち、名古屋で「改正組」を組織して当時の相撲協会に対抗した。和解復帰後は、数々の改革を成し、取締として君臨、門弟も多数育成した(初代・西の海、初代・小錦など)。しかし、晩年は専制政治を行い、反発を受けた。現役時代は前頭筆頭であるが、のちの出羽の花(武蔵川理事長)、柏戸(時津風、武蔵川、春日野の三大理事長の補佐役)とともに、三大出世平幕力士の筆頭である。
たかさご・うらごろう 千葉県出身、東海→松ケ枝→高見山→高砂部屋、初土俵:文久3年7月場所、入幕:明治2 年11月場所、引退:明治6年11月場所

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明治16年発行の和本『櫓太鼓音高砂』(浅坂さん私物)

摩利支天
荒岩亀之助[大関]
大阪相撲より転身、幕内最高成績*は6度、常陸山と互角に戦うなど、名人というよ り強豪大関であった。小兵ながら変幻自在の動きと、仕切や技の型が「摩利支天の 再来」と称えられた。明治の回向院時代を代表する人気力士で、甚句のレコードや、 取り組みの映像も現代に伝わる。
あらいわ・かめのすけ 鳥取県出身、陣幕→久(大阪)→尾車部屋、初土俵:明治27年1月場所、入幕:明治30年 1月場所、引退:明治42年1月場所
*優勝制度は明治42年から。それ以前の成績は「優勝」ではないので、最高成績という表現をしています。

イラスト/てぶくろ星人

相撲の神様
大ノ里万助[大関]
164㎝、97kgの小兵で大関を7年つとめた。 当時としても小さい力士ながら独特の押しを習得して出世したが、晩年は天龍と行動 を共にし、不運の上に、満州の大連で客死した運命は、のち、芝居で上演されている。
おおのさと・まんすけ 青森県出身、若松→湊川→出羽ノ海部屋、初土俵:明治45年1月場所、入幕:大正7年5 月場所、引退:昭和7年1月場所

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大の里〜引退記念号『大日本関西角力士協会雑誌』(浅坂さん私物)

相撲の神様
幡瀬川邦七郎[関脇]
86kgの軽量でありながら、三役を9場所つとめた怪力士。のちの名人横綱・照国を育 て、晩年は技術論を展開して神様の名を高めた。
はたせがわ・くにしちろう 秋田県出身、楯山→伊勢ケ浜部屋、初土俵:大正11年5月場所、入幕:昭和3年3月 場所、引退:昭和15年1月場所

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余裕の笑顔を見せる神様(幡瀬川)。『昭和の名力士100人』(浅坂さん私物)より

 

「リスペクト」部門

生き帳面
鯱の海梅吉[小結]
小結を10場所つとめ、幕内最高成績もあげたことがある実力者。写真も残り、錦絵にも粋な姿が描かれた、明治初期の人気力士の1人。協会の経理の上でも記憶力など発揮し、人事にも人望があった。
しゃちのうみ・うめきち 茨城県出身、伊勢ノ海部屋、初土俵:万延2年2月場所、入幕:明治2年11月場所、引退: 明治17年5月場所

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『力士鏡』明治五年より(浅坂さん私物)

御大
常陸山谷右衛門[第19代横綱]
御大とは、「御大将」の意。「角聖」とも呼ばれ、力士の品格向上につとめ、外国訪問 などでは見識を深め、横綱としても年寄(出羽海)としても空前の功績を残し、現在に 続く出羽海部屋の礎をつくった。厳しい指導で一代で3横綱を育成した。実力、人格共に、寛政の谷風と並び称される、相撲界の大人物である。
ひたちやま・たにえもん 茨城県出身、入間川→出羽ノ海、三ツ湊(名古屋)→中村(大阪)→出羽ノ海部屋、初土俵:明治25年6月場所、入幕:明治32年1月場所、引退:大正3年6月場所

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洋装の横綱常陸山。明治40年撮影『雑誌写真画報』(浅坂さん私物)より

異能力士
若乃花幹士[第45代横綱]
「かかとに目がある」「土俵の鬼」など、数々の愛称で呼ばれた、昭和戦後を代表する 人気力士であった初代若乃花。若い頃は「狼」とも呼ばれ、繰り出す技の豪快さは今までにない「異能力士」と表現された。小部屋で出世に苦労したことや、幼い長男をちゃんこ鍋の事故で無くすなどの悲劇が日活の映画にもなり、人気が爆発した。晩年は 二所ノ関一門では初の理事長も務めた。
わかのはな・かんじ 青森県出身、二所ノ関→芝田山→花籠部屋、初土俵:昭和21年11月場所、入幕:昭和25 年1月場所、引退:昭和37年5月場所

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「土俵の鬼 若乃花物語」は『少年雑誌まんが王』の別冊附録(浅坂さん私物)

「政治家」部門

角界のキッシンジャー
柏戸秀剛[前頭筆頭]
現役時代は再三横綱を倒す派手な取り口で人気があったが、番付は不幸にも前頭筆頭止まり。年寄として海外公演の先乗りに手腕を発揮して、ソ連、中国、メキシコの 公演を成功させ、トンガ力士廃業の折もトンガ国王に事情を説明しに行くなど、「角界 のキッシンジャー」と呼ばれた。師匠としても横綱柏戸、牛若丸といわれた藤ノ川、実力派関取の柏梁(はくりょう)などを育て、岩手なまりのNHK解説も人柄を表していて人気を集めた。 私事で恐縮だが、入門時の最初の師匠であり、毎日の足のマッサージや散歩、荷物整理の間にいろいろな話を聞く機会に恵まれ、いただいた本、写真、煙草盆やコート などの遺品は、今でも大切にしております。
かしわど・ひでたけ 岩手県出身、春日山→伊勢ノ海→錦島部屋、初土俵:昭和11年5月場所、入幕:昭和16年 5月場所、引退:昭和24年1月場所

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柏戸のブロマイド(浅坂さん私物)

代議士
宮城海清人[前頭15]
出羽海OB友愛会の会長もした弁のたつ力士。数いる猛者をまとめたのだから、さぞかし雄弁であったに違いない。両国〜緑島〜天龍と演説のうまい力士は数多いが、 もう少し知名度があれば相撲解説者に推薦されていたかも。玉の海梅吉、神風正一、 若瀬川、出羽錦、北の洋など、解説上手は、みな大関、横綱じゃないのがおもしろい。
みやぎうみ・きよと 宮城県出身、出羽海部屋、初土俵:昭和16年1月場所、入幕:昭和24年5月場所、引退:昭 和28年5月場所

「喧嘩がらみ」部門
大正〜昭和にかけて、「喧嘩三人衆」と呼ばれたのが、この3力士!

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世界にひとつの危ない写真!喧嘩三人衆が並んで写った集合写真。左より真鶴、玉錦、宝川。こ の後が心配…昭和3年旅順納骨神社にて。(世界に一枚の珍品という浅坂さん自慢の私物)

喧嘩玉/ゴロ玉/ボロ錦
玉錦三右衛門[第32代横綱]
両国でケンカがあると、「玉錦か真鶴か?」と言われるほど若い頃は喧嘩っ早かったらしい。体中の生傷が絶えず、「ボロ錦」「ケンカ玉」ともいわれ、大関で三連覇しなが ら横綱推薦を見送られたのは素行に問題があったのかもしれない。しかし、天龍事件 で打撃を受けた協会を一人、支えた功績が認められ、横綱に推挙されたのは、彼の実力と人情を物語っている。 小さな体を稽古で補い、横綱になった努力の人。任侠味にあふれ、多くの弟子を育てた。双葉山、躍進連勝時の最大の壁であったが、巡業中に盲腸が原因で客死したのは惜しまれてあまりある名横綱。「面影は あの花道の あのあたり」と偲ばれ、涙を誘った。
たまにしき・さんえもん 高知県出身、二所ノ関→粂川→二所ノ関部屋、初土俵:大正8年1月場所、入幕:大正15 年1月場所、引退:昭和13年5月場所

喧嘩横綱
真鶴秀五郎[小結]
大阪相撲から来た実力者。体格もよく、大関豊國に似ている体は当時の大関、横綱よりはるかに大きく、指折りの有望力士だった。宴会での無邪気な写真も残り、酒クセで失敗しなければ、当然上位を狙えただけに惜しい逸材だった。
まなづる・ひでごろう 奈良県出身、追手風→湊川→朝日山部屋、初土俵:大正7年5月場所、入幕:昭和2年1 月場所(大阪相撲より)、引退:昭和6年10月場所

月の輪熊
宝川政治[前頭3]
玉錦、真鶴と並んで喧嘩っ早いと評判であった。実力ははるかに劣りながらも、三人並びで称されたのは、その面(けんか)では上をいっていたからかも。三人が同時に同席した写真を 見ていると、その後がなぜか気にかかる。 喧嘩で作った肩から胸にかけての傷跡から、月の輪熊とも呼ばれた。
たからがわ・まさじ 高知県出身、友綱部屋、初土俵:大正10年5月場所、入幕:昭和2年5月場所、引退:昭和 9年5月場所

「お人柄」部門

カバ
八方山主計[前頭筆頭]
日本がアメリカの占領から独立した講和条約の年、サンフランシスコに大ノ海、藤田山とともに公演しており、平和外交に貢献した力士の1人。そのお人柄からカバと親しまれ、芒洋なイメージは、平和をアピールするのにうってつけであったろう。
やかたやま・かずえ 熊本県出身、出羽ノ海部屋、初土俵:昭和9年5月場所、入幕:昭和16年5月場所、引退: 昭和28年1月場所

イラスト/てぶくろ星人

ドライ坊や
若羽黒朋明[大関]
優勝経験もある実力大関だが、アロハシャツを着て場所入りするなど、その行動や発言は物議を醸した。年寄で残らず、商売を始めたが長く続かず、早逝した。性格がドライだったことから「ドライ坊や」と呼ばれたが、色紙のサインはひらがなで描いたのもドライな性格だからか。
わかはぐろ・ともあき 神奈川県出身、立浪部屋、初土俵:昭和24年10月場所、入幕:昭和30年3月場所、引退: 昭和40年3月場所

平和ちゃん
富士錦章[小結]
優勝経験、三役、名門高砂継承と、高砂部屋の王道を歩んだが、元は横綱東富士の弟子。長く審判をつとめ、温厚な顔と笑顔はまさに「平和ちゃん」だが、小錦の発言問題では弟子をかばい、温情や情熱もあった人でもある。
ふじにしき・あきら 山梨県出身、高砂部屋、初土俵:昭和28年3月場所、入幕:昭和34年1月場所、引退:昭和 43年11月場所

「ちゃん」部門

そのお人柄から「○○ちゃん」と呼ばれ親しまれた「ちゃん」力士

文(ぶん)ちゃん
出羽ケ嶽文治郎[関脇]
ご存知「世紀の巨人」(身長206㎝!)。大正期〜昭和期の不況時代、「国技館を背負 って立つ」ともいわれた人気者だった。
でわがだけ・ぶんじろう 山形県出身、出羽ノ海部屋、初土俵:大正6年5月場所、入幕:大正14年1月場所、引 退:昭和14年5月場所

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文ちゃんこと出羽ケ嶽のブロマイド(浅坂さん私物)

浅坂さんのお姉様が描かれた文ちゃんのイラスト!

青(あお)ちゃん
青ノ里盛[関脇]
全盛期の大鵬の連勝をストップさせ、鏡里の跡を相続して立田川として関取を多く育 てた。飲むと陽気に甚句を唄い、いつもほがらかな態度で「青ちゃん」と親しまれた。 私も審判の付け人として巡業に同行させてもらい、甚句を教えていただき、生声テー プを今も大事に保存しています。
あおのさと・さかり 青森県出身、時津風部屋、初土俵:昭和28年3月場所、入幕:昭和34年1月場所、引退:昭 和44年3月場所

旭(きょく)ちゃん
旭道山和泰[小結]
「南海のハブ」ともいわれた反面、みんなが「旭ちゃん」と親しみを込めて呼んだ代議士関取。自ら「土俵の二重人格者」と称したくらい、動と静の両極端な面をもち、負けず嫌いが土俵に風雲を巻き起こした。昭和55年5月初土俵の我が同期生の出世頭。
きょくどうざん・かずやす 鹿児島県出身、大島部屋、初土俵:昭和55年5月場所、入幕:平成元年1月場所、引 退:平成8年9月場所

柏(はく)ちゃん
柏梁勝雄[十両3]
十両24場所の実力者。森田(のちの藤ノ川)、朝日嶽(幕下)とともに伊勢ノ海の三羽 ガラスと呼ばれた。志願して師匠に手紙を出し入門、順調に出世し、柏戸、藤ノ川に 次ぐ「第3の男」とも呼ばれたが、先天的に目が悪く、惜しくも入幕はできなかった。幕下でも長く取り、若者の引率者として人望も厚く、みんなに「柏ちゃん」と親しまれ、今も年配の後援者は当時を思い出し、こう呼んでいる。
はくりょう・かつお 岩手県出身、伊勢ノ海部屋、初土俵:昭和36年3月場所、新十両:昭和41年9月場所、引退: 昭和52年1月場所

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柏ちゃんこと柏梁の写真(浅坂さん私物)

 

浅坂直人
あささか・なおと 伊勢ノ海部屋マネジャー。北海道利尻島生まれ。札幌旭丘高校出身。元三段目・雪光山(昭和55年五月場所初土俵、平成4年九月場所引退)。同期の関取は栃ノ華、旭道山。相撲文化を愛し、相撲関連書籍、資料を多数所有し、専門誌の連載や講演も行う。相撲趣味の会会員。好きなアーティストはジェフ・ベック、エリック・クラプトン、アニマルズ、ザ・ショッキングブルー、日本のGSなど。

(写真)現役時代の浅坂さん(雪光山)。巡業でちゃんこを作っているところ。

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参考資料:『大相撲人物大事典』(相撲編集部編 ベースボール・マガジン社)

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