記念すべき「おすもうさん」特集第一弾は、元大関・把瑠都さんを、好角家でお馴染みの浅草キッド・玉袋筋太郎(玉ちゃん)さんがオーナーをつとめる「スナック玉ちゃん」にお招きして、相撲のことをいろいろ語っていただきました。その③は把瑠都さんの現役時代のお話を中心に伺いました!
現役時代のケガの功名?
玉ちゃん-現役時代は把瑠都さん応援してたよ。オレやっぱ、デカいおすもうさんが好きだから、ま、今は小さい人が人気だけど、把瑠都さんくらいの大きさがあると見映えもするしさ、馬力もあってさ。好きだったよね。あーでも、ケガとの戦いがあったよね。
把瑠都-今思うと、ケガがなかったときって、調子が悪かったんですよ。逆にケガがあったときは精神的にちょっと楽になるっていうかね。場所前、体の調子がよくって「今場所はぜんぜん余裕やー」って思うときは、成績がぜっんぜんダメ。
玉ちゃん-えー!
把瑠都-今回はもう無理だって思うと、逆に相撲とれるっていうか。
玉ちゃん-えー!
把瑠都-いい成績残したりしましたね。嫌いじゃないんですよ、この痛み。ケガなかったらちょっとさびしいっていうか。毎日当たり前のようにケガとの戦いがあったから、毎日のごはんと一緒。ケガと生活してるみたいな。当たり前のこと。
玉ちゃん-今だからそう思えるってのもあるんじゃない。でも、今これだけの場所の数があって、みんなケガしちゃうもんね。
把瑠都-おすもうさんでケガがない人はいないですね。おすもうさんもいろいろいるけど、「指痛いー」っていってすぐ痛み止め飲む人とか、鼻水出たらすぐ病院走る人とか。
玉ちゃん-この間さ、足ケガしたおすもうさんと飯食うことがあって、ずっとサポーターしてるから、すごい心配でさ、大丈夫? って聞いたらさ、「いや、足もうぜんぜん大丈夫なんですよ」って、要するに、サポーターしてないと落ち着かなくなっちゃったんだよね。
把瑠都-くせみたいなもんですよ。
玉ちゃん-そうそう。おまじないみたいなもんだよね。昔は塩ふっとけば治るってい言ったけどね。
把瑠都-塩ふればなんとかなるんですよ。
玉ちゃん-いやいや(笑)。
兄弟子との関係は相撲も芸能界も同じ
玉ちゃん-把瑠都さんとは以前に一度対談させてもらったけど、入門当初の話とか聞くと大変だよね。把瑠都さんが受け入れる気持ちが大きい人だから、やってこられたんだよね。あと、やっぱり帰れないていうのはすごいよね。曙さんと対談したときにも言ってたよね。「帰れねーんだから、そりゃ強くなるしかないよ、俺たち」って。
把瑠都-それはありますね。
玉ちゃん-あるよね。帰るところがあると、ある程度まで行くと、そこまででいいやって思う人が多いらしんだよね。
把瑠都-帰れないっていう気持ちがパワーの素になったっていうのは確かにある。
玉ちゃん-この間、大学相撲出身のおすもうさんとご飯食べた時に言ってたけどさ、学生時代にそれなりの成績残して入門してきてるのに、15歳のやつに「おいっ」って言われるんだよ。「ぜってー上に上がってやる」って思ったって。やっぱ、それがひとつのエネルギーになったって言ってたもんね。
把瑠都-同じ経験ありました。大相撲入ってきて、序ノ口のとき、15歳から入ってきた人が序二段だったんです。ちょっとしか上じゃないけど、兄弟子だから。千秋楽パーティーで普通に立ってたら「おいおい、私の後ろだよ」って。順番が違うって言われて。でもすぐに抜きましたけどね。
玉ちゃん-それがおもしろいじゃん。番付が変わっていくっていうのがね。
把瑠都-でも兄弟子の関係も忘れちゃいけない。
玉ちゃん-そこは把瑠都さん、うまくできたんだね。自分は恵まれてたって言うんだけど、そんなのなかなか言えないよ。
把瑠都-やっぱり兄弟子はいつまでも兄弟子ですからね。
玉ちゃん-オレはさ、軍団に一番若くして入ったからさ、高校卒業してすぐのぺーぺーだったから、兄弟子に何されようが言われようがなんとも思わなかったけど、相棒(水道橋博士)なんかはオレより5歳上だったから、思うところあったと思うよ。博士は博士で。番付上げていくまで大変だったと思う。
把瑠都-そういうところ、(相撲界と芸能界)ちょっと似てるんですよね。独特な世界ね。
玉ちゃん-実際に稽古は最初どうだったの?
把瑠都-師匠にはとても感謝してます。やさしかったですよ。まぁ、厳しく教えてもしょうがないから、日本語もわかんないし。こうしてああしてって直接言ってくるわけじゃないけど、一番の兄弟子に、もう少しこうした方がいいとか伝えて、その兄弟子が夜に時間をとって、しっかり説明してくれた。
玉ちゃん-えー。立派だよ。
把瑠都-言ってもわからないから、自分でやって見せてくれて、こうだからこうでしょって。兄弟子さんがものすごいよかった。その人は、25年くらい相撲やって、幕下筆頭まで行って、私の付き人もやってくれたけど、私が引退してちょっとして、彼も引退してしまいました。今は地元に帰ったみたい。
玉ちゃん-言葉の問題ってあるよね。どうやって日本語覚えたの?
把瑠都-師匠の歌とか(笑)。上手いですよ。何かあるごとに歌ってましたね。日本語ぜんぜん知らないで来日して、1年たってもまだそんなに日本語わからなかったけど、師匠の歌は覚えてるんですよ。
玉ちゃん-スピードラーニングだな。聞き流して覚えてんだよ。入っちゃうんだよね。
把瑠都-あと、食事は苦労しましたね。とくに白ごはん。味がないから、ケチャップとかマヨネーズをごはんにかけて。それがおいしかったですねー。今でもマヨネーズごはん大好き。
玉ちゃん-マヨネーズで作った体だよね。
把瑠都-当時はなんでもかんでもおもしろかった。すべてが新しかったから。毎日、目覚めたら、今日はどんな一日になるだろうって。
玉ちゃん-すごいよー。できるもんじゃないよね。もともとの性格だよね。
把瑠都-まだ20歳だったからね。まったくわからない国に来て、将来ここでみんなと生活しないといけないから、できるだけ早くいろいろ知りたかったんですね。
相撲の根底にあるのは親孝行の精神
玉ちゃん-でもそうやって把瑠都さん、番付上がってお金入ってくるようになったら国に仕送りしてたの?
把瑠都-もちろん。毎月送ってましたよ。
玉ちゃん-えらい! えらいよな。
把瑠都-日本で相撲やるのは、お母さんを助けてあげたいってのがあって。1人で3人兄弟育ててくれたから。私が大学行けなかったのも、貧乏だったからなんです。一応一カ月だけ大学行ったんですよ。アルバイトやりながら通った。アルバイトは夜中のディスコの用心棒やってたから、朝6時か7時に家に帰ってきて、学校が8時から。いろいろ準備も間に合わないし、ずっと寝てました。一カ月はがんばって行ったけど、ニカ月目からはぜんぜん行かなくなって、学校から電話があってやめました。
玉ちゃん-大学では何を勉強してたの?
把瑠都-海のことが好きで、クルーザーのキャプテンになりたかったんです。去年、やっと2級船舶免許とったんですよ。山と海っていわれたらやっぱ海ですね。
玉ちゃん-最近、山のロケ多いよね?
把瑠都-いや、山からは海が見えるからOK(笑)!
玉ちゃん-しかしやっぱりね、把瑠都さんもそうだけど、相撲見てて感じるのは、みなさん親孝行ってことだよね。親孝行が基本なんだなって、今更ながら50になって気づかされるっていう。あーもっと若いうちに親孝行しとけばって思うね。おすもうさんなんてみんな自分よりぜんぜん若いでしょ、でも見てると根底は親孝行ってのがあるんだなって感じますよ。初歩中の初歩なんだけど、根本的に流れてるのはそういう精神なんだなって。
把瑠都-地元ってのもあります。
玉ちゃん-そこがまたいいんだよね。よく地方からさ、地方けっとばして出てきてさ、東京はケツのすわりが悪いなんて言ってるバカいるじゃない。なんかああいうの嫌いなんだ。やっぱりね、故郷ってのも大事にしてもらいたいね。
把瑠都-土俵入りでも、どこどこ出身っていうしね。
玉ちゃん-そうそう! 地元背負って親孝行だよな。
つづく・・・
玉袋筋太郎(玉ちゃん) たまぶくろ・すじたろう
東京都西新宿出身。高校卒業後、ツービートたけしに弟子入り、1987年水道橋博士と浅草キッドを結成。相撲のほかスナックをこよなく愛し、赤坂に「スナック玉ちゃん」を開店。10月1日(日)12時より、「スナック玉ちゃんうっかり八周年」を渋谷カルチャーカルチャーにて開催。前売り:3000円、当日:3500円(1オーダー制) 問合せ:03-3599-2390
把瑠都 ばると
エストニア出身。尾上部屋所属の元大関。2004年五月場所で初土俵、2010年五月場所で大関に昇進し、2012年一月場所で幕内最高優勝を飾ったが、2013年九月場所で惜しまれつつ引退。その後は実業家、タレントとして活動。5カ国語を操るなど多才さと持前のキャラで活動の場を広げ、9月30日より東京で、11月4日より京都で上演される「グリーンマイル」では舞台に初挑戦。https://www.greenmile-stage.jp
photo:Kaori Murao