国技館の相撲茶屋、藤しま家さんで働く90歳の出方さん、寛吉さんインタビュー。2回目は、出方さんのお仕事についてです。
〝兼業〟が多い出方さん。地方場所に行くことも
――昔と今の出方さんで、ここが変わったなというのはありますか。
寛吉さん(以下、寛):若い衆は本場所以外は、別の仕事をしています。昔は職人さんや農家が多かったんですけれど、今は販売員が多いですね、百貨店や家電量販店で販売している人。私も百貨店で販売をしていたこともあります。節句人形やちょうちんを売ったりするんです。名古屋場所が終わると家に戻らず、名古屋の松坂屋に行ってちょうちんの販売をしていました。
――名古屋場所も行かれたんですね。
寛:ええ。今でも若い子は地方場所に行きますよ。主人は別ですが。大阪も行きましたね。九州はお茶屋さんがないので行っていません※。
※東京、大阪、名古屋の茶屋は経営が異なる。
――出方さんのお仕事は多岐にわたりますが、覚えるのにどのぐらいかかるのでしょう。
寛:3場所で覚えると言われますが、個人差がありますね。ひと場所で覚えちゃう人もいれば3場所でもなかなか覚えられない人もいます(笑)
――寛吉さんは覚えがよいほうだったのでは? 昔は場所中にずっと同じ席に同じお客さんがいることが多かったですよね。
寛:景気がいい時代は、大会社がその席を15日間ずっと買って、その会社のお得意さんを招待するっていう接待に使うことが多かったんです。今は、一般のお客さんが観戦したい日を選んで買ってくださることも多いですね。
昭和2年生まれの寛吉さん。藤しま家さんに勤めて、なんと66年目!辞めたくなったことは一度たりともないそうです。
呼出しさん同様、「吉」「郎」が多くつく呼び名が多い
――なじみのお客さんも多かったのでは?
寛:そうですね。場所中に2度、3度って招待されるお客さんもいて、そういうかたに、場所が終わったあと食事にお誘いいただいたりしたこともあります。「寛ちゃん、今日は銀座のどこどこで待ってるから」とか。景気のよかった時代のお話ですね。
――寛吉さんは「寛ちゃん」って呼ばれるのですね。
寛:ええ。寛さんでも寛ちゃんでも、寛!でもなんでも呼ばれます(笑)
――寛吉さんの本名は寛さんなんですね。
寛:若い衆も呼び名をつけられるんです。「郎」と「吉」が多いの。呼出しさんもそうですよね。昔はみんな兄弟子がつけてくれるの。「郎」と「吉」がついて、店の中に同じ名前がいないものに。昔、呼出しさんで寛吉さんって私と同じ名前の方がいまして、呼出し寛吉さん宛ての手紙が私に来たこともありました。
――出方さんの一日のお仕事を教えてください。
寛:店によって多少異なりますが、朝7時から夜7時までの勤務だと思ってください。早番、遅番はなくみんな一緒。出勤したらまず土産の準備ですね。予算に合わせて組み合わせます。お客様が来たらご案内をして、昼食は地下にある食堂でいただきます。その後もお客様のご案内や飲み物や食べ物の注文を受けてお運びします。結びが近くなると、客席に入って、座布団をあげるために控えています。数人は、ここでお客様にお土産をお渡しする準備をしています。
――座布団はお茶屋さんが片付けるんですよね。
寛:そうです。昔は番狂わせがあるとお客様が羽織を投げて、それを拾って届けると心付けをいただきました。でも今は座布団を投げられてしまう。座布団は危ないばっかりで。私も「投げないでください」と声を出しております。
お土産をセレクトしたり、座布団を運んだり、今も現役で仕事に励んでいらっしゃいます。
マス席の素早い片付けも出方さんのお仕事
――座布団、投げられてしまうと出方さんが探しに行くんですよね…
寛:ええ。もともとは座布団に店の番号が書いてあって、自分の店のものを回収していたんですが、今はもうバラバラ。うちのがよその店にあったりもします。
――打ち出し後、出方さんはマス席の湯飲みと土瓶を片付けますが、いくつも持ち歩いている方を見かけます。あれは練習などされているんですか?
寛:練習はしませんねェ。見よう見まねでやっております。私は土瓶にお茶がたくさん入っているのと少ないのがあると、同じぐらいの量にして持ち歩いていました。私なりのコツですね。
――お土産の紙袋をたくさん持っている出方さんも見かけます。
寛:持つ人は4マス分持っている人もいます。16人分。それだけ持っていると、通路をふさいじゃうから、私はやりませんでしたけど。
――今まで一番人気のあったお土産はなんですか?
寛:やっぱり焼き鳥ですね。お土産に焼き鳥を入れないことはほとんどないと思います。
「K」のイニシャルが入っているのが寛吉さんの草履。もう一つは同じく藤しま家の出方さん、一郎さんのもの。一郎さんが履いているタイプのほうが近年は主流だそう。
寛吉さんご愛用(左)はタイヤ底。近年の主流タイプ(右)はクッション底。
――国技館といえば焼き鳥!ですものね。移動の多い出方さんですが、履物はどういうものをご愛用なんでしょうか。
寛:履物は草履と決まっております。
――規定の草履があるんですか?
寛:いえ、そういったものはありませんが。これですね。
昔から愛用しているタイヤ底の草履
――寛用って書いてあるんですね。場所ごとに新調するんですか?
寛:人によります。こっちは裏が自転車かなんかのタイヤなんです。今の人はこっちのクッション性があるほうを履きますね。お坊さんもこっち。
――Kって書いてあるのは、寛さんのK?
寛:そうです。タイヤの草履はもうあんまり作ってもないみたいで。鼻緒は赤や青もあるんですが、私は白が一番好き。
――こだわりですね。白い鼻緒とてもお似合いです。これでかつては3万歩も歩いていたのですね~。
次は最終回。寛吉さんにとっておきの甚句をご披露いただきます。お楽しみに!
PHOTO:Kaori Murao
藤しま家
国技館に20軒ある相撲案内所のひとつ。番号は17番。戦後、第31代横綱常ノ花夫人、山野辺静代さんが経営にかかわって以降、代々受け継がれている。現在の代表はひ孫の秀明さん。
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「相撲茶屋のおかみさん」横野レイコ著