大好評!伊勢ノ海部屋マネジャー、浅坂さんのちょっとためになる〝おすもう話〟。今回のテーマは、「相撲と歌舞伎」。とっておきの資料も見せてくださいましたよ!
今回は伊勢ノ海部屋で待ち合わせ。浅坂さんは部屋でお留守番中でした!部屋の前でキメポーズの撮影をしてから、いつものレトロ喫茶店へGO!
――今回のテーマ「相撲と歌舞伎」は浅坂さんからご提案いただきました。歌舞伎、お詳しいんですか?
浅:いえいえ。でも相撲も歌舞伎も、江戸時代は庶民の一番の娯楽ですからね。私は今もときどき見に行きますよ。
――多趣味ですね!
浅:歌舞伎には相撲が題材になっているものがけっこうあるんですが、伊勢ノ海部屋関連でいえば「め組の喧嘩」でしょう。伊勢ノ海部屋の力士だった四ツ車大八(よつぐるまだいはち 1771~1809)が、町火消しと大ゲンカをした史実が、脚色されて歌舞伎で演じられたんです。
――四ツ車も伊勢ノ海部屋伝統の四股名ですね。少し前もいらっしゃいました。(四ツ車は出てきませんが伊勢ノ海部屋の四股名については「柏戸になると必然的に伊勢ノ海を継ぐ説をクリック)。
浅:岩手の花巻出身のね。十両8枚目までいきました。
――次もまた誰かが四ツ車に……
浅:いずれはね。で、なんでしたっけ?
――「め組の喧嘩」です。
浅:そうそう。四ツ車は寛政6年(1794年)に初土俵、文化2年(1805年)2月に35歳で入幕したんだけど、その7日後に「め組の喧嘩」を起こしたんです。
――「め組」って火消しですよね。暴れん坊将軍で北島三郎がやってる。
浅:そうそう。でもあれはフィクションだからね。「め組の喧嘩」は史実。舞台は芝神明宮(現在の芝大神宮)。とび職の富士松っていう男が、境内で行われてた相撲をタダ見しようとして怒られたのを逆恨みして、仲間の辰五郎たちと結託して、九龍山っていう力士にケンカを売ったのが始まり。九龍山側には同じ伊勢ノ海部屋の四ツ車や藤ノ戸が加勢して、とび職側は火の見やぐらで半鐘を打ち鳴らして、仲間を大勢集めたわけ。それで大ゲンカになっちゃった。
――火事と喧嘩は江戸の華とはいうけれど…
浅:まあでも当時はもっと大規模なケンカがたくさんあったみたいだから。九龍山にケンカを売った富士松は、ケンカのときに刀傷を負って死んじゃった。で、騒動を起こしたから裁きはくだって、力士側は九龍山だけ江戸払い(江戸市内への居住が許されない追放刑)で四ツ車と藤ノ戸は無罪。とび職側は江戸払い、罰金刑とかだったそうです。
――へえ。
浅:で、これがおもしろいんだけど、そのときとび職側が打ち鳴らした半鐘が、島流しにあって三宅島に送られたんだって。
――半鐘にも罰がくだったんですね。
浅:明治になって島流しから戻ってきて、今、芝大神宮にありますよ。
――ほう。
浅:そんな「め組の喧嘩」を脚色したのが「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」です。歌舞伎での初演は明治23年(1890年)だから、実際の事件からは85年も経ってるんです。
――今でも人気の演目ですね。
浅:脚色されているから、史実と違うこともたくさんあります。
――この本、すごいですね(浅坂さんが持参した「繪本實録花角力め組の立入」「侠勇四ツ車一代記」を開く)
浅:明治時代の本だから、それほど古くはないけど…
――いやいや、すごいです、すごいです……
色あざかやな表紙の「繪本實録 花角力め組の立入」。喧嘩のシーンは観音開きに。
脚色されているので、本来、喧嘩に加わっていない「雷電」も登場。
渋い色味は「侠勇四ツ車一代記」。こちらは四ツ車の自伝を脚色したもの。柏戸も登場する。
(つづく)
何曜日に更新されるかわからない、神出鬼没の浅坂さん。最新記事はおすもうさんサイトをこまめにチェック!