祝・12代式守勘太夫襲名! ~与之吉から勘太夫へ~

令和初の本場所となったこの夏場所。令和初の新大関、令和初の新入幕と初物が話題ですが、行司界では10代式守与之吉(よのきち)さんが12代式守勘太夫(かんだゆう)を襲名というニュースが。そこで、名跡襲名にまつわるお話や、『知れば知るほど 行司・呼出し・床山』で書ききれなかった軍配や装束のお話などをお届けします!

兄弟子の後を追って与之吉から勘太夫へ

四股名や年寄名跡と並んで江戸時代から受け継がれる名跡がある行司の名前ですが、文政6年(1823)から続く“式守勘太夫”の12代目を10代式守与之吉さんが襲名されました。

―この度は襲名おめでとうございます。まずは勘太夫さんの名跡の歴史からふり返ってみたいと思います。
勘太夫:初土俵は“式守国浩(くにひろ)”として。伊勢ヶ濱部屋に入門しましたので、当時の師匠の四股名の“清國”(きよくに・元大関)から一字いただいて、本名の“浩”で“国浩”です。その後、十枚目格昇進を機に8代式守錦之助(きんのすけ)を襲名して、幕内格昇進のときに12代式守与太夫(よだゆう)になりまして、2016年に10代式守与之吉、そしてこの夏場所で12代式守勘太夫を襲名させていただきました。

<12代勘太夫年表>
昭和59年(1984)3月 式守国浩として初土俵
平成13年(2001)1月 十枚目格昇進、8代式守錦之助を襲名
平成21年(2009)1月 幕内格昇進、12代式守与太夫を襲名
平成28年(2016)1月 10代式守与之吉を襲名
令和元年(2019)5月 12代式守勘太夫を襲名

―入門は先代の伊勢ヶ濱部屋だったんですね。
勘太夫:はい。私が入門したとき、部屋には行司の兄弟子が何人かいて、余談ですが行司以外でどうかと言われたんですが、いや!行司で、ということでこの道を進むことになりました。兄弟子には当時太一郎さんといって後に8代与之吉、9代勘太夫になられた方、当時の7代勘太夫さんがおられました。部屋の先輩行司が“勘太夫”を名乗っておられたので、自分もいつかと思っていました。

―『知れば知るほど 行司・呼出し・床山』の制作時に名跡の歴史を調べていて気付いたのですが、“勘太夫”になられた方のほとんどの前名が“与之吉”なんですね。
勘太夫:そうなんです。それで、いつかは勘太夫を襲名したいということで与之吉を襲名しました。

―ちなみに、“与之吉”→“勘太夫”のように名跡を襲名していくコースというか定番の流れみたいなのがほかにもあって、“与太夫”の場合、“錦之助”→“錦太夫”→“与太夫”が多いですが、勘太夫さんの場合は“錦之助”→“与太夫”へダイレクトだったんですね。
勘太夫:はい。実は過去に錦之介から与太夫になった方が一人いらして、“三太夫”のうちのお1人です。

―それ、『知れば知るほど~』で書きました! 明治・大正期に絶大な人気を誇ったという“三太夫”(与太夫・錦太夫・勘太夫)の与太夫さんですね。
勘太夫:そうです!

令和元年夏場所初日は勘太夫の譲り団扇で

―名跡とともに受け継がれるものってあるのでしょうか?
勘太夫:軍配ですね。“譲り団扇(うちわ)”*といって、立行司の木村庄之助と式守伊之助のものが有名ですが、勘太夫の譲り団扇というのもあるんです。
*代々譲られる軍配で同じ名跡で受け継がれるものもあれば、師匠から弟子へ、兄弟子から弟弟子へ譲られるものもある

―どれくらい古いものなんですか?
勘太夫:2代目の勘太夫が使用したもので153年前のものだそうです。普段は相撲博物館で保管されています。

―おー。箱も年季入ってますね!
勘太夫:兄弟子がこれを持っていて、なんだか汚い箱だなと思ったらしいんですが、よく見ると蓋の裏に、年代が入ってたんですよ。

―本物の証!
勘太夫:この箱とともに軍配が受け継がれているということですね。あと、恐らく贈り主からの物と思われる送り状的なものと一緒に残っています*
*2代勘太夫は一時的に3代鬼一郎を名乗るが、その後勘太夫に戻り、再度鬼一郎となっている。この軍配は鬼一郎時代に贈られたものと思われる。

ーすごい!きれいに残っているものですね。
勘太夫:そうですよね。ところで、今年の大相撲カレンダーはお持ちですか?

ーはい。
勘太夫:裏表紙に江戸時代の錦絵が使われているんですが、そこに描かれている軍配がまさにこの軍配です。同じ文字が書かれていますよ。

―本当ですね!これは、なんと書かれているのでしょうか。
勘太夫:表は「一心一声」、裏は「神の如く」と書いてあります。

―一声に心を込める、行司魂みたいな言葉ですね。この軍配は夏場所で使われるんですか?
勘太夫:古いものなので、初日だけ使わせていただき、すぐに博物館に返却します。

―それは初日見ものですね!
*当日の取り組みの様子はAbemaTVビデオ大相撲ダイジェストで視聴できます!

 

鳥好きが高じて軍配には雷鳥を

―軍配といえば、『知れば知るほど~』で雷鳥の軍配を撮影させていただきました!
勘太夫:あれは天龍神社さんからいただいたもので、もともと何も書かれていない木の軍配をいただいたんです。誰かに字を書いてもらったらどうかと言われたのですが、実はずっと思い描いていた絵柄がありまして……。それが雷鳥だったんです。

―雷鳥がお好きなんですか?
勘太夫:はい。数が少なくて、絶滅危惧種でしょ。日本の雷鳥って、とてもよく人になつくらしいんです。山岳信仰では山の動物を殺傷してはいけないとされていて、大切にされてきたせいもあってか、野生の雷鳥は人を怖がらないし寄ってくるそうです。映像でしか見たことはないんですが、いつか実物の雷鳥を見に行きたいと思っていて。

―表と裏で絵が違いますが両方雷鳥なんでしょうか?
勘太夫:表と裏でつがいになっているんです。たまに、これは鳩?って言われるんですが、雷鳥です。

―なるほど。
勘太夫:雷鳥って鳴き声が変わってて「ぐげげげげぐげげげげ」ってちょっと下品なんです。あんまり可愛くない。ネットで動画が上がっていたりしますよ。

―生で聞いてみたいですね。
勘太夫:でも富山の立山の上のほうに行かないと見れないらしくて。なかなか時間がないですね。

―雷鳥に限らず、鳥全般がお好きなんですか?
勘太夫:はい。小さい頃インコを飼ってまして。それから鳥は食べられないんです。

―相撲部屋で鳥が食べられないとつらいんじゃないですか?
勘太夫:鶏肉を全部よけて食べています。

―鶏のだしは大丈夫なんですか?
勘太夫:だしはいいです(笑)。

―今は鳥は飼ってらっしゃらないんですか?
勘太夫:フクロウを飼ってみたいですね。

 

こだわりの装束は政宗公の陣羽織をイメージ

―『知れば知るほど~』の取材で行司装束を作っておられる髙田装束店さんに取材に伺いましたが、そこで勘太夫さんは装束へのこだわりがすごい!と伺いました。同書にも写真を掲載させていただきましたが、伊達政宗公の陣羽織をイメージしたというあの装束はステキですね~。
勘太夫:ありがとうございます。私は生まれは東京なんですが、両親が宮城出身で、宮城には強い思い入れがあります。伊達政宗公は地元の誇りなんです。

―あの水玉模様のような丸は刺しゅうなんですね。
勘太夫:そうなんです。大きさや位置にもこだわりがあって。コンパスでいろんな大きさの輪を書いて、それにいろえんぴつで色を塗りまして、使っていない装束の上に実際にぺたぺた貼っていって、配置を決めました。

―では、あのデザインは勘太夫さんご本人!?
勘太夫:そうですね。その輪はもうちょっとこっち!とか、装束店の方と微調整しながら。

―色も鮮やかでとても素敵です。ほかに宮城への思い入れは何かありますか?
勘太夫:歴史好きで地方場所や巡業では史跡めぐりも楽しみのひとつなんですが、やっぱり仙台の青葉城址が一番好きですね。城はもうありませんが。これ、知ってますか?むすび丸って言うんです。(携帯のストラップを見せてくれる)

むすび丸:仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会事務局宮城県観光PR担当課長

―かわいいです! では、宮城のおすすめグルメは?
勘太夫:やっぱりホヤですかね。東京ではなかなか見かけないんですが、近所の魚屋にあると買います。家族はあまり好きではないので、自分で調理して自分で食べます。なんともいえないおいしさなんです。

鳥と宮城をこよなく愛する勘太夫さん。新たな名跡でのさらなるご活躍に注目です!

式守勘太夫(しきもり・かんだゆう)
1968年生まれ。1984年伊勢ヶ濱部屋に入門。度重なる部屋の閉鎖で数回の部屋の移籍を経て、2017年より宮城野部屋所属。2017年の九州巡業中にギランバレー症候群を発症し、過酷なリハビリを乗り越え、2018年9月の日馬富士引退相撲で見事復帰を果たす。

Photo:村尾香織

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