2019年10月3日に蔵前・厳念寺にて行われた『利樹之丞の呼出し歴史講座』の模様を3回にわたってご紹介!開催の数日前に、利樹之丞さんの幕内昇進が決定したこともあり、会場はお祝いムードに包まれました。利樹之丞さんがこの日のためにご用意くださったさまざまな資料をスライドにうつしながらの解説。聞き手ははおなじみ、佐々木一郎さん(日刊スポーツ)です!
左:利樹之丞さん、右:佐々木一郎さん(日刊スポーツ) 資料提供:国立国会図書館
呼出しという職業はいつからあったのか?
佐々木:今日は「呼出し歴史講座」ということで、若干かためのテーマです。
利樹之丞:最初イベントのお話をいただいたときに、あまりやわらかすぎないものがいいなと思ったんです。「歴史講座」というお題をいただいて「それならぜひやりましょう!」と。
佐々木:利樹之丞さんは歴史にお詳しいのですか?
利樹之丞:もともと好きで入った相撲界なので、自分の職業には興味がありますね。今日にそなえて相撲博物館に行って勉強してきました。
佐々木:おお、準備万端ですね。さっそくスライドが出ていますが、これはどれが呼出さんなのでしょうか?
資料提供:国立国会図書館
利樹之丞:これは平安時代の「相撲節会(すまいのせち)」の様子です。天皇の前で相撲を披露するという、五穀豊穣を祈る行事ですね。この○で囲まれているのが呼出しであろう「府生」(奏名)=「ふしょう」という役割の人です。この「ふしょう」が出身地とか力士名を奏上していたんじゃないかって言われています。そして鎌倉・室町時代には上覧相撲というのがあって、前行司といわれるのが呼出しだったと言われています。そのあとは名乗り上げともいわれていて。
佐々木:ほう。このあとですかね、呼出しって呼ばれるようになったのは。
利樹之丞:そうですね。江戸時代は行司さんの装束は今と違いますが、呼出しは今と同じですね。顔触れ言上も当時とまったく同じです。
佐々木:歴史を感じますね。ちなみに呼出しさんが初めて番付にのったのはいつなのでしょうか。
利樹之丞:さかのぼると本当のところはわからないんですけれど、相撲博物館に残っている番付では寛政のころにはのっているそうです。相撲博物館で見せてもらったのは、文政6年。仙台の毘沙門天で勧進相撲が行われたときの番付にのっていました。
佐々木:このあと呼出しさんは番付にのったりのらなかったりですよね。
利樹之丞:基本的にのっていません。ずっと時代がくだって昭和、戦後ですね。呼出し太郎さんって方がおられたんですが、当時の取締役、今でいう理事長に直談判して、昭和24年から10年間ほどのりました。でも太郎さんが引退すると消えちゃいました。
佐々木:太郎さん、力もってたんですね。
利樹之丞:ですね。それからしばらくのらず、平成6年名古屋場所から番付にのるようになります。
佐々木:けっこう最近のことなんですね。
利樹之丞:そうですね。そのときに立呼出し、三役、幕内、十両っていう階級ができたんです。それまでは一等、二等、三等だったのですが、このときからお相撲さんと同じように番付が確立されました。
佐々木:床山さんが番付にのるようになったのはごく最近のこと(平成24年初場所から)なんですが、呼出しさんとしてはいかがですか。番付に名前がのるというのは名誉なことというか。
利樹之丞:はい。細い字でも自分の名前が番付にのっていると励みになりますね。
佐々木:利樹之丞さんは今、番付はハンコをついて配られるんですか。
利樹之丞:親しい方や頼まれたりしたらお配りしています。
佐々木:何枚ぐらい配られるんですか。
利樹之丞:個人的には100枚ぐらいですね。あとはちゃんこ屋さんに頼まれたりとか…。
佐々木:みなさんもちゃんこ屋さんで、利樹之丞さんのハンコが押してある番付を探してみましょう!
呼出しさんの3大仕事は「呼び上げ」「土俵築」「太鼓」
佐々木:次に呼出しさんのお仕事についてうかがいたいのですが、呼出しさんのお仕事といえば、呼び上げと土俵築、太鼓。この3つが中心ですね。
利樹之丞:3本柱ですね。
佐々木:ただ昔は仕事がわかれていて、全員がこの3つの仕事をすべてやったわけじゃないんですよね。
利樹之丞:はい。呼出しとなのっていても、土俵にあがれるのは一部であって、土俵づくり専門であったり、太鼓専門であったり。あとは「売り物」というのがありまして、取り組み表を売ったり、お土産を売ったりと館内をまわる人もいました。昭和40年ごろからじゃないですか。全員が3つの仕事を全部やるようになったのは。
佐々木:今日はお客様から事前にいただいた質問をはさみつつ進行していきたいのですが、ここで質問です。呼出しさんのお仕事で一番楽しいのはいつですか。
利樹之丞:仕事で楽しいのは呼び上げです。
佐々木:一番の見せ場ですものね。土俵築は?
利樹之丞:力仕事なんで夏場はキツイですね。でも土俵ができあがったときの達成感、満足感、気持ちよさっていうのは我々じゃないと味わえないですからね。
佐々木:3つの仕事でそれぞれ尊敬している方はいらっしゃいますか? これもお客様からの質問です。
利樹之丞:呼び上げは寛吉さん。ぼくが憧れてこの世界に入った方です。そのほかにも栄太呂さん、幸太郎さん、一夫さん…。みんな個性があって、味があって、声量もあって。コテコテのこぶしのきいた呼び上げの方もいれば、あっさりしている人もいらっしゃいます。
佐々木:今、現役の方の呼び上げを聞いても、個性がありますものね。
利樹之丞:太鼓は米吉さんですね。今でこそ巡業はみんな一緒にまわってますが、戦後とかは一門別でまわっていたんです。そうすると、一門ごとに太鼓のクセがちょっとずつ違ったりするんですよ。そういうのを聞きわけて、いいところをチョイスして勉強していましたね。今日はあの兄弟子がやるって聞いたら聞きに行ったりして。いいところを吸収したいなと思ってやっていましたね。
佐々木:私が太鼓を聞くとみんな同じように聞こえてしまうんですが、やはり本職の人が聞くと誰の太鼓だってわかるんですか?
利樹之丞:わかります、わかります(きっぱり。食い気味に)。今櫓上がってる若い子も、顔が見えなくてもだいたいわかります。
佐々木:そうなんですか!
利樹之丞:テンポとか間とか。7つ「ストトトトトトンッ」ていうんですけど、これがぎこちなかったり(笑)。
佐々木:利樹之丞さんはどんな特徴の太鼓なんですか?
利樹之丞:『ハッキヨイ!大相撲ひよの山かぞえ歌』ってあるんですが、そのCDに入っている最初と最後の太鼓はぼくが叩いています。
佐々木:そうなんですか!音源になって残るっていうのはうれしいですね。
利樹之丞:太鼓が残るっていうのはうれしいですね。
佐々木:今聞くことはありますか?
利樹之丞:本場所中に国技館で流れていますよね。ひよの山の売店で。
佐々木:みなさんもぜひ聞いてみてください!太鼓は年々上達されると思うんですが、利樹之丞さんもさらなる高みを目指して修行していらっしゃるんですか。
利樹之丞:はい。若いうちはやっぱり手も動くんですよ。中堅になってやってないと、だんだん手も動かなくなってきます。でも一旦吸収したものだから、ここから先は衰えないようにしたいと思います。
今回のレポートはここまで!次回の更新をお楽しみに!
利樹之丞(りきのじょう)
昭和48年生まれ、山形県酒田市出身。高砂部屋所属。平成元年4月入門。令和2年初場所に幕内昇進。
聞き手
佐々木一郎(ささき・いちろう)日刊スポーツ新聞社
サッカー、オリンピック、大相撲担当記者を経て、現在は大相撲などのデスク担当に。自身の筆による相撲部屋の俯瞰イラストが大好評だった「月刊相撲」(ベースボール・マガジン社)の連載「稽古場物語」は、来年早々に同社より書籍化予定。ツイッター@Ichiro_SUMO
Photo:村尾香織
今回の会場は…
建長5年(1253)武州足立郡槙村にて遊琳法印が「真言宗證誠山護念寺」として創建。覚如上人の教化により浄土真宗に。寛永20年(1643)に浅草鳥越村に移転し「厳念寺」を定める。その後大火などで移転しながら文化13年(1817)浅草新堀端に「證誠山成就院厳念寺」としてお寺をかまえ、現在に至る。仏教講座やワークショップ、各種イベントを開催する地域に開かれた寺院。