マセキ芸能社所属のフリーアナウンサー・押しだしましょう子さん。その芸名から相撲好 きは推して知るべし。親方をゲストにトークを繰り広げる「親方がっぷり寄席」の主催者 でもあり、がっぷり寄席は次回第7回(令和4年1月3日開催予定)で1周年を迎えます。
今回は、押しだしましょう子さんってどんな人? 「親方がっぷり寄席」ってどんなイベ ント?ということで、お話をじっくり伺ってきました! 前半は押しだしましょう子さん ってどんな人?編です。
最後にお年玉プレゼントのお知らせもあります!お見逃しなく。
隠岐の海より吉田栄作だった島根時代
—まずはご出身からお願いします!
生まれは富山、大学進学で京都に出て、アナウンサーになりたくて在学中にアナウンスス クールに行ったりしていて、NHK松江放送局の契約キャスターとして就職しました。
—島根といえば隠岐の海ですね。
そうなんです。ちょうど隠岐の海関が新入幕で地元はすごい盛り上がりだったんですが、 実はそのころまったく相撲に興味がなかったんですよ。
それよりも、当時、島根が舞台の朝ドラをやっていて主演の吉田栄作さんに会えるほうにすごく興奮していました。隠岐の海関については、お相撲さん騒がれてるなぁぐらいで……。 あんなすごい人がNHKに何度も来られていたのに……。
—子どもの頃から相撲好き!というわけではなかったんですね。
そうなんです。でも、これは後で相撲の話につながるんですが、島根時代に、仕事でレスリングの体験取材をしたんです。それが面白くて、そのレスリングクラブに通うようになり、大会にも出たりしました。
島根のNHKの次は、長崎放送でリポーターをしていたんですが、長崎でもレスリングは続 けて、吉田沙保里選手にタックルしたこともあります!
—おー!
体当たり取材が売りだったんですよ。
長崎での契約終了後は一旦地元の富山に戻ってチューリップテレビでアナウンサーをしていました。
その後は、ご縁があって鳥取市役所の広報室専任キャスターとして鳥取に行くことになりました。その間もずっとレスリングは続けていましたね。
相撲との出合いは名門・鳥取城北高校!
—富山から、京都→島根→長崎→富山→鳥取ときて、アナウンサー一筋だったわけですね。 まだ相撲との接点がありませんが・・・。
その鳥取で、レスリングを続けたいと思って探したら、なかなかできるところがなくて、 そのかわりといってはなんですが、「鳥取は相撲が盛んだよ」って教えてもらって。
すごい、おもしろそう!って、赴任した翌日に鳥取城北高校に電話をして、女子相撲やりたいんですって言ったら、「いいですよ〜、今日からきますか?」って。
—へ〜、ウエルカム!というか、見る相撲じゃなくて、やる相撲から始まったんですね。
そうなんです。相撲の知識はなく入ってますから、後から鳥取城北高校の出身力士のことや、石浦関が校長先生の息子さんだって知ったくらい。
やってみたら、初日ですっかりはまりましたね。同じくらいの背丈の小学校3年生の女の子と取ったら勝てたりして、すごくおもしろい!ってなって。
稽古場はとても明るい雰囲気でしたが、稽古は本当に厳しくてキツくて。でもその雰囲気がすごく好きになって、翌日から毎日稽古に行くようになりました。平均週7日とか行ってましたね。
—つまり、毎日ですね!
はい。稽古時間は、日によってちょっと違ったんですが、私に合わせて全部夕方の6時にしてくださって……。私の都合に合わせてもらってるから、絶対休めないんです(笑)。どんなに疲れていても、どんなに忙しくても絶対に稽古は休まないっていうのを3年間続けました。
とにかく相撲だけは、あ、他も真面目にはやってましたけど(笑)、相撲に関しては真面目にうそをつかずにやるって決めて。
—相撲も大会に出たりされたんですか?
はい。最初は1回戦で電車道で押し出されて、あっけなく終わりました。岐阜の郡上まで行って一瞬にして終わりました。
大阪にも女子相撲の聖地といわれているところがあって、そこの大会とか、出雲大社での中国大会とかいろいろ出ましたが、1勝もできなかった……。
でも、相撲をしていたこともあり、市報での石浦関と鳥取市長の対談の進行役という仕事を任せてもらい、宮城野部屋に行くことになりました。
—おぉ!大相撲との接点が出てきましたね!
でも、そのときはまだ奇数月に本場所があることも知らなくて、下調べのためにテレビで相撲を見ようと思ったら、やっていなくて。あれ、いつやってるんだろう?って感じでし た(笑)。いつもやっていないって初めて知りました。
—本当に、まったく相撲を見たことがなかったんですね。でも、実際に相撲部屋に行ってみてどうでした?
宮城野部屋に行ったら、当時の横綱(間垣親方)がマッサージ受けていらっしゃって、それが階段の上からチラリと見えて、第一印象は妖精みたい!って。真っ白な体で、妖精で した。
—情報ゼロでご覧になってるからこその印象ですね!確かに色白でいらっしゃいますもんね!オーラが羽っぽかったのかも……。
実は、そのとき白鵬関がすごい横綱だっていうこともあんまり知らなくて……。
でも、その年の秋に、石浦関が新入幕で、白鵬関と一緒に鳥取市内をパレードされたり、 母校をたずねたりされたときに、鳥取市の広報番組として密着取材させていただいて、すごくかっこいい!と思って。相撲って面白い世界だなと、女子相撲と同時進行でのめりこんでいきました。
—大相撲をご覧になるようになったのもそのころからなんですね。
大相撲は、好きで見ていたというよりは、技の勉強をしたくて見ていたんですが、ぜんぜんわからなくて……。
先生たちにそれを言ったら、やっぱり速いし、アマチュアの相撲とは技も全然違うから、 勉強するには難しいよって言われたんです。
本当に最初のころは勝った負けたはわかるけど、何がおもしろいのかもぜんぜんわからなくて、やるほうが楽しかったんです。でも、知りたいなと思って、ひたすら見ていて、録画も何回も見て、BGMのように流していたら、柝の音とか呼び上げの声とか、応援とか実況とかが心地よくなってきて、体に馴染んできて、どんどんはまっていきました。
−アナウンサー・相撲・お笑い−三足のわらじ時代
—やっと相撲とのつながりが登場しましたが、所属されているマセキ芸能社はお笑いの事務所。お笑いとの出合いとは?
私はずっとしゃべる仕事がしたくて、司会の仕事とか番組MCもさせていただいていたんですが、自分としてはアナウンサーとしての素質やポテンシャルは低いと思っていて。
少し話が戻りますが、富山での仕事の契約終了に向けて、次のアナウンサーの仕事を探していたんですが、同僚に「しょう子さんはお笑いのセンスがあるから、もしアナウンサー試験落ちたら吉本に行ったら?」なんて言われて。スクール時代の友人やディレクターからも、あなたは笑いが強みと言われたこともあって、とりあえず「R-1」に出ることをすすめられたんです。
—富山の頃から出られてたんですね。
はい、アナウンサーとしての表現の幅を広げようという一心でチャレンジしました。
そのときは、あっけなく1回戦で敗退でした(笑)。でも、他の出場者のネタを見ていたら、お笑いって単なる娯楽じゃなくて、文化というか、ひとつの分野としてとても奥が深そうだ なと思って。
結局、鳥取の仕事が決まって、鳥取に行くんですが、マセキ芸能社にお笑いのスクールがあって、そこに通うことにしたんです。
—なぜ、マセキだったんでしょうか?
いとうあさこさんに憧れて。レポートとかいつも明るくて素敵だったので。
—鳥取から通われてたって、確か相撲も毎日稽古に行ってらっしゃいませんでした?
もう、スケジュールだけはアイドル並みって言われてました!
毎日市役所で朝から夕方5 時半まで働いて、一回家に帰って着替えて5時45分には相撲の稽古に行って、週末は0泊 3日の夜行バスで東京のスクールに通って。
もう、きつかったです。ヘトヘトでした。
—ちなみに、それ何歳のときですか?
32歳だったでしょうか……。
—すごいパワー!
気力だけですね(笑)。
でも、スクールに通ったおかげで、その年の「R-1」では3回戦まで行けて、その次の年の 「THE W」(女芸人のNo1決定戦)の決勝まで行けたんです。
—ちゃんこの具トーナメントのネタですね!
そのときに、マセキのマネージャーさんと知り合って、マセキに入りたいって言って、今に至ります。
—で、いよいよ東京に来られるわけですね。
はい。マセキに入れたのはよかったんですが、私が目指していたのはお笑いじゃなくて、 アナウンサーで。マセキはお笑いのプロダクションなので、アナウンサーの仕事ってないんです。
なかなかこれ一本では食べていけなくて、東京へ来たばかりのころは、国技館のお茶屋さんのバイトなんかもやりましたよ! おすもうさんで紹介されていた寛吉さんのおられる藤しま家さんです。 (「90歳!最高齢の出方さん」の記事を読む)
—寛吉さん、コロナで最近お会いしてないんです。お元気ですか?
はい。お元気ですよ!
—それは何より!お茶屋さんで何をされてたんですか?
お客さんの飲み物の注文を中で準備する仕事です。少しでも相撲に携われて楽しかったんですが、それはやりたいことではなかったので……。
—本業ではないですもんね……
ただ、本来のアナウンサーの仕事をするにはネタをやって名前を売らないといけないし、 でもネタをやりたいわけではないし、何がおもしろいかもわからなくなって、ステージで 「このネタがダメなら、また来年もバイト暮らしか……」と思ったらセリフがとんじゃっ たり、ちょっと負のループにはまったりもしました……。
でも、マネージャーさんにいろいろと話を聞いてもらって救われることも多かったですね。
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こうして2019年、マセキ芸能社で東京でのキャリアをスタートさせたしょう子さん。やりたい仕事と現実とのギャップに葛藤を抱えながらも一歩を踏み出そうと、今年(2021年) の1月に「親方がっぷり寄席」というイベントを自ら企画。 次回は、第1回〜第6回の「親方がっぷり寄席」裏話を、出演された親方たちのエピソー ドと一緒にお届けします。どうぞお楽しみに!
最新情報!(プレゼントあり!!)
第7回「親方がっぷり寄席」in マすセキ 開催決定!
出演:鶴竜親方(第71代横綱鶴竜)、荒汐親方(元幕内蒼国来)、春日山親方(元関脇勢)、 塙宣之(ナイツ)
日時:2022年1月3日(月) 19:00〜20:30
zoomにて生配信(アーカイブ配信もあり)
料金:1,500円
お申し込み・お問い合わせ:gappppuri@gmail.comまで
チケット販売サイト:https://tiget.net/events/159873
*チケット絶賛発売中!配信直前まで受け付け
お年玉プレゼント 第7回「親方がっぷり寄席 in マすセキ」に3名様をご招待!
ご希望の方は、12月31日23:59までに、Eメールに、お名前、メールアドレス、出演してほしい親方を書いて、gappppuri@gmail.comまでお送りください。 当選者には元旦(2022年1月1日23:59まで)にメールでご連絡いたします。なお、当落の発表は、ご当選者のみへのご連絡となりますことをご了承ください。
チラシのイラストはやくみつるさん!題字は木村朝之助さん。
photo:Kaori MURAO
押しだしましょう子 (おしだしましょうこ)
富山県出身、NHK松江放送局浜田報道室契約キャスター、NBC長崎放送契約リポーター、TUTチューリップ テレビ契約アナウンサー、鳥取市役所広報室キャスターをへて、2019年よりマセキ芸能社所属。 2017年「THE W」決勝進出 。趣味は、相撲、四股を踏むこと、歩くこと、階段を登ること、身体を動かすこと。特技は、50音どれを言われても相撲の情報を言える、歴代横綱72名の名前と情報を早口で言える、女子相撲、書道、司会、体を張ったリポート、股割り。(マセキ芸能社HPより)