浅坂さんの【おすもう今日は何の日?】

6月22日【昭和38年6月22日】
第61代横綱北勝海(現八角理事長)の誕生日

今日は横綱北勝海、現在理事長八角親方の誕生日、令和5年で還暦を迎えられます

歴代の横綱で6月生まれは3人ですが、1日の千代の富士、2日の千代の山と、九重ゆかりの三横綱だけというのも不思議な縁。さらに3人とも北海道出身、雲竜型の土俵入りを披露しています。

九重を継いだ、北の富士さんを加えると、4人全員が北海道出身となり、優勝回数が55回というとてつもない記録を誇ります。まさに九重北海道王国ですね。

6月14日【明治42年6月14日】
初代国技館での初の本場所千秋楽

明治42年6月2日に開館式が行われた、両国にできた初の相撲常設館・国技館。同月5日から始まった六月場所はこの14日に千秋楽を迎えました。

優勝は前頭7枚目高見山。13日で紹介した、昭和20年六月場所と同様、このときも2横綱、3大関、2関脇、2小結がいましたが、優勝は平幕力士にさらわれました。

 

6月13日【昭和20年6月13日】
非公開場所となった六月場所千秋楽

昭和20年、戦争激化により非公開場所となった、終戦前最後の本場所である六月場所。その千秋楽が、6月13日に国技館で行われました(7日初日)。

優勝は7戦全勝優勝、前頭筆頭備州山。

4横綱2大関、3関脇、3小結がいましたが、平幕の力士が優勝した珍しい場所。

6月に行われた国技館での本場所は明治43、44、大正4年とありますが、昭和以降はこの20年の一度だけであります。

4月21日【寛政12年4月21日】
寛政12年(1790)の四月場所初日

4月に本場所が開催された珍しいケース。

谷風亡き後、看板の大関雷電以下、上位力士が不参加で、5日間にて興行ストップ。

当時はお抱えの大名の都合で人気力士が本場所を休む事が多々ありました。それも江戸時代の興行システムでありました。

江戸っ子は待ちに待った本場所を残念がったに違いないでしょう。雷電の代わりに山姿雲八という看板力士が大関で登場。素性のわからない謎の力士であります。

4月8日【天保12年4月8日】
天保12年(1841) 14代横綱境川の誕生日

境川は写真に残されている横綱でも五番目に古い、幕末生まれの横綱です。

残念ながら、横綱を締めた写真はまだ発見されていません。

4月は、3日に鳳、吉葉山、初代若乃花の3人、さらに鏡里(30日)、日馬富士(14日)と合計6人の横綱が生まれています。2月の9人、11月の10人、5月の8人、3月の7人などには及ばないものの、1月の6人と並んで多い月であります。

 

14代横綱境川と15代横綱梅ケ谷の熱戦(共に大関時代)。明治12年から14年まで、大関として対峙した両雄の取組。明治の版画(浅坂さん提供)

3月24日【嘉永7年3月24日】
嘉永7年(1854) ペリー提督に力士のデモンストレーションを披露

今から169年前の江戸末期・嘉永7年3月24日、幕府は、アメリカ黒船艦隊ペリー提督の元へ江戸の相撲を呼び、贈答品として米200俵、鶏300羽を運ぶデモンストレーションを披露した日。
白真弓という巨人力士は、一度に米を8俵運び、大関小柳は水兵を投げ飛ばしたという記事が瓦版で報道されました。
アメリカの人達の目には、力士が余程珍しく 映ったようで、モンスター、オックス、エレファントなどと、当時の遠征期に記されています。

↓当時の瓦版での報道の数々(浅坂さん提供)
 

3月20日【昭和35年3月20日】
昭和35年 “栃若”による千秋楽・横綱全勝対決

千秋楽、栃錦、若乃花による、横綱同士の全勝対決は15日制になって初の出来事。若乃花が8回目の優勝を全勝で飾り、これが、栃若最後の対決となりました。
もう一人の横綱朝汐は途中休場していますが、若羽黒、琴ケ浜の両大関は勝ち越し。
また、4年後の大阪場所では、柏戸大鵬による横綱全勝千秋楽決戦が再現されています(3月22日)。
強い横綱が全勝で対決とは今となっては夢のような話でですが、 とにかく、この時代は横綱大関が、常に5人以上いた豪華版でありました。
↓決戦の25年後、昭和60年の雑誌『Number』で対談し、表紙を飾った春日野(元栃錦)、二子山(元若乃花)の両雄(浅坂さん提供)

3月10日【明治17年3月10日】
明治17年 芝離宮で天覧相撲

芝離宮延遼館にて明治天皇の天覧相撲が行われた日。明治維新以来西洋化の波により人気が停滞していた大相撲が、天覧の慶事により一気に人気を盛り返しました。横綱梅ケ谷と大関大達の水入り引き分け大相撲が話題に。
↓鋭い眼光で土俵入りの型を見せる初代梅ケ谷。引退後は年寄雷を襲名し、協会の大黒柱となり、二代横綱梅ケ谷を育てるなどして、大雷と呼ばれた(浅坂さん提供)

2月20日【昭和8年2月20日】
昭和8年 関西角力協会初の番付発表

天龍が結成した新興力士団は革新力士団残留組と大阪に於いて関西角力協会を設立、旗揚げ興行として、昭和8年2月11日から7日間、第1回本場所を開催しました。連日満員の盛況で、最優秀力士は天龍。その成績をもとに番付を発表された日が20日です。その番付は天龍を大関とした、東西のない片番付でした。なお、力士は革新を謳って髷を切り落としていましたが、また結うことになりました。東京の相撲協会は、大阪相撲協会と合併後、毎年続けていた関西地方での本場所を中止し、東京の二回だけに戻ってしまいました。
↓脱退前の天龍(右)、関西角力協会結成時の断髪した天龍(浅坂さん提供)

2月13日【昭和7年2月13日】
昭和7年1ヶ月遅れの春場所、苦肉の番付発表

昭和7年春場所は初日が2月22日。1月に起きた天龍事件によって出羽海部屋力士が大量に脱走した(春秋園事件) ため、残留した力士で番付を編成し直し、1ヶ月遅れで春場所開催にこぎつけました。

その番付発表日が昭和7年の今日。

古今未曽有の脱走事件で、1月に発表された番付は幻になり、新大関武蔵山が帰参して2月に作った苦肉の番付なので、人員も少なく、幕 下、十両からかなり抜擢され、その中に双葉山も入っていました。力士の待遇改善を求めた行動でしたが、昭和初期の不況という誘因もあったかと思われます。ストライキが脱走事件に発展した、相撲界最大で最後の大紛擾事件であります。

優勝は全勝優勝の関脇清水川。その時の雑誌「野球界相撲号」がこちら(浅坂さん私物)。

2月9日【明治45年2月9日】
双葉山の誕生日

2月は横綱の誕生日が一番多い月です。その中でも、双葉山(9日、明治45年)がダントツに光り輝きますが、なんと初代梅ケ谷も同じ日(弘化2年)。九州出身の二大横綱が同じ日生まれとは奇遇です。

双葉山の誕生日は当時、3月18日が誕生日と報道されている記事がありますが、この自叙伝で本人がその節は間違いと明確に書いているのが面白い。また、違う日の説もあり、今後、議論が沸く可能性もありますね。

ちなみに5日が栃木山、玉の海、4日が三重の海、6日が二代西の海、18日が佐田の山、20日が栃錦、27日が宮城山と続き、質、数共にトップレベルの横綱生誕月であります。

1月14日【昭和14年1月14日】
双葉山70連勝成らず

撲史を語る上で最大のニュースのひとつが、双葉山連勝ストップ、安芸の海に敗る‼︎であろう。足掛け4年間、関脇から横綱2場所目まで全勝を続けた無敵の横綱が無名の初顔平幕力士に負けたのだから、相撲ファンならずとも、全国民が正月のお屠蘇気分も吹っ飛んだ出来事である。双葉山はその後、二度と安芸の海に負ける事はなく、また、安芸の海もよく重圧をはねのけ、立派に横綱に昇進を果たしたのは、両者の執念が交錯した、横綱の心をめぐる名勝負であった。

1月10日昭和40年初場所の初日】
部屋別総当たり実施で、玉乃島、王者大鵬に恩返し
 
それまでの東西制、また一門別総当たりの制度を打ち破った、時津風理事長の英断は初日から好取組を 生み、中でも、玉乃島が一門の大横綱大鵬を破った一番は、相撲ファンの喝采を持って迎えられた。
1月9日【寛政七年1月9日】
谷風死去
 
古今の大力士、横綱谷風が、六年暮れに流行した御猪狩風により、数え46才の現役男盛りで死去した。
宝暦年間から現代までの江戸相撲で、現在も唯一続く伊勢の海部屋の横綱谷風は宮城県仙台市出身、その強さとともに、人格も力士の模範と称えられ、勝っているのは当然で、負けたときに、負けた負けたと騒がれた大力士であった。これも兎年の出来事である。

1月1日 元旦生まれの幕内力士
    北勝鬨(現:伊勢ノ海親方) 鳴門海

北勝鬨(現:伊勢ノ海親方)
昭和41年元旦、元北勝鬨 の伊勢の海親方の誕生日。江戸相撲より12代続く伊勢の海部屋の師匠。部屋持ちの師匠としては初の元旦生まれか。先代伊勢の海から続く、北海道出身の力士で、昭和40年代生まれ初の関取として注目を浴び、平成初の入幕力士でもありました。現在錦木らを育てる大阪場所担当部長。

鳴門海
昭和で活躍した前頭鳴門海(春日野部屋)も 元旦(大正15年)生まれ。80キロ代の痩せた体で、幕内を44場所つとめ、横綱鏡里に三連勝したことも。のちの竹縄親方で、私も相撲教習所で、指導を受けた思い出があります。長身でダンディーで格好良い親方でした。

新連載! 浅坂さんの【おすもう今日は何の日?】始まります

新年明けましておめでとうございます!今年も「おすもうさん」をどうぞよろしくお願いいたします!

さて、おすもうの生き字引こと、伊勢ノ海部屋マネージャーの浅坂直人さん。おすもうさんではすっかりお馴染みですが、令和5年から新連載が始まります。題して「おすもう・今日は何の日?」。その日にあった相撲のいろんな出来事を浅坂さんが教えてくれます。

当日はおすもうさん公式Twitter@osumo3coconにてツイート後、おすもうさんサイトにアーカイブしていきます。

浅坂直人
あささか・なおと 伊勢ノ海部屋マネジャー。北海道利尻島生まれ。札幌旭丘高校出身。元三段目・雪光山(昭和55年五月場所初土俵、平成4年九月場所引退)。同期の関取は栃ノ華、旭道山。相撲文化を愛し、相撲関連書籍、資料を多数所有し、専門誌の連載や講演も行う。相撲趣味の会会員。好きなアーティストはジェフ・ベック、エリック・クラプトン、アニマルズ、ザ・ショッキングブルー、日本のGSなど。(↓巡業で甚句を歌う雪光山〈浅坂さんの現役時代〉)

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