九月場所、13勝2敗の好成績で十両優勝を果たした一山本関。10月1日に30歳の誕生日を迎える一山本関の相撲(とそれ以外の)人生について迫りました!
※取材は8月のため、九月場所については触れていません。
公務員から相撲界へ。激動の20代を振り返って
――土俵の内外で人気の一山本関。10月1日で30歳ですが、お気持ちはいかがですか?
イヤですね(笑)
――大学を出て公務員になり、その後、大相撲に入門されたのは23歳。
それからもう7年目ですね。
――大学時代は中央大学で東京にいらしたんですよね。
八王子の南平っていうところに、相撲部だけじゃなくて運動部が集まる寮があって、そこで4年間過ごしました。
――どんな大学生活を?
中央大学相撲部の伝統で、大学2年生までは学ランで学校に行かないといけなかったんです。入学式も、周りはみんなスーツなのに相撲部は学ランでした。
――相撲部の人って体大きいですが、学ランのサイズはあるんですか?
過去の大きかった人の学ランが残っているので、それを着るんです。ぼくは入学したとき100kgぐらいだったので、全然大丈夫でした。
――大学生活は満喫された?
大学生活といえば、合コンしてバイトしてゼミや卒論がんばるってイメージだったんですけど、ゼミも卒論なかったです。バイトはできないし、合コンもしてないし。あれ、大学生っぽいコト何もしてないな?って。わはは。
――卒業後、北海道に帰って福島町で公務員になり、その後、船橋の二所ノ関部屋に入門。
そうですね。就職していたとき以外、20代はほぼ関東で過ごしましたね。
――大学生から公務員、おすもうさんになって一気に幕内に…激動の20代ですね。
こんなふうになっているとは思わなかったんですけどね。公務員のまま終わる予定だったんです、本当は。
――年齢制限が緩和されたのが?(平成28年に新弟子検査の対象年齢をスポーツ経験者に限って23歳未満から25歳未満に緩和)
そうですね。あれがなかったら入門してないんで、よかったです。よかったかは、まだわからないですけど(笑)。相撲界に入るとき、ぼくのいないところで家族会議が開かれたらしいんですけど、「それ、ぼくがいないと意味なくない?」って思いました。わはははは。
陽キャは実は〇〇だった!
――七月場所はケガをされて、途中休場からの再出場。それが刺激になって、朝乃山関も再出場を決めたそうです。
わはは。言ってるだけだと思うんですけどね(笑)
――いやいや。周りの力士に影響を与えているのがすごいです。
仲良くしているんで。
――仲いい力士めちゃくちゃ多いですよね。
そうですね、多いとは思います。
――一山本関のコミュ力の高さはファンみんなが知るところですが、子どもの頃から陽キャだったんですか?
いやいや、ぼくは「ビジネス陽キャ」なんです。
――えええええええ!!!!!!
結構人見知り激しいですし、子どもの頃から人前で何かやったりするタイプではなかったんです。社会に出た時に、ある程度社交性がないと生きていけないと思ったんです。
――それは公務員のときに?
それもあります。ぼくは就職したのが地元ではなかったんですが、周りの職員さんは地元の方が多くて。そのなかでどうやって生きていくかを考えたときに、やはり地域の方に可愛がってもらって生きていかないといけないなと思って、常にニコニコしてようと。体が大きくてムスッとしてたら「怖いな」って思われてイヤじゃないですか、生きにくいんで。その代わり家に帰ったらボーッとしてます(笑)
――公務員時代に培ったんですね。
それは大きかったと思います。職員の方もそうですが、町民の方とも接するので。役場はサービス業ですから。
――意識高いですね。
わはは。
――大学時代から同級生の朝乃山関や豊山関(元幕内)と仲良かったんですか?
いや、大学時代はまったく付き合いないですね。大相撲に入ってから仲良くなりました。大学時代は社交性なかったんで(笑)中央大学の同級生としか仲良くなかったです。ふふふ。
――そして一山本関といえば、若隆景関ですが……
はい、それはもちろん。ふふふ。
――大学時代から注目していたんですか?
若隆景関はひとつ下なんですけど、大学時代から、うまい相撲をとるなっていうのは思ってました。それがプロになって、より顕著になってきて。尊敬しています!
――大学時代に対戦は?
ないです。大相撲入ってからもないです。九月場所で番付が東西で並んだのは、めちゃくちゃ嬉しかったですね! むこうが休場なので対戦がないのは仕方ないんですが…
――対戦のシミュレーションはしてますか?
もちろん!! 当たって前に出て…こう(突き押しの仕草をしながら)ふふふ。
――若隆景関は「友達は一山本だけ」と言っているそうです。
わははは。そうですね、家に遊びに行ったりしているんで。ふふふ。
とにかく明るい一山本関の苦手なものは?
――お兄ちゃんの若元春関とは同級生ですよね。一緒にテレビ出られたりして。
そうですね、仲はいいですね。ふふふ。
――こんなにコミュ力高いおすもうさんってなかなかいないですよね。Abemaのプロデューサーさんも「Abemaイチオシ力士は一山本関!」っておっしゃっていました。
わはは。でもAbemaセンター試験のコーナー、いつもしゃべりすぎちゃうんですよね。ま、そうやって楽しんでもらうのもいいのかなって、ひとりぐらい変わった奴がいてもいいのかなって思っています。
――よくテレビに出られてますが、思い出の番組は?
たくさん出させていただきました。8月も24時間テレビに出ましたが、ダンスもキツかったですが、ぼく、歌がダメなんで……
――そうなんですか!?意外です。腹タッチ会でも歌われてました。
あ……あれはぼく、歌わない予定だったんです。「歌はダメなんで」って言って断って、佐田の海関と正代関と宇良関が歌うってことだったんですけど、平戸海関も歌うことになって。「5人中4人歌うのに1人歌わないのはおかしい」ってことになっちゃって。
子どものころから外で遊んだことがほとんどなくて、カラオケに行ったこともないんです。高校も寮で暮らしてたんで、学校の敷地内からほとんど出なくて、同級生と遊びに行ったこともなかったですし。
――高校は、若元春関との旅番組で行かれていましたね。学校の実習でケーキを開発したというのを見ました。今でもお料理されるんですか?
はい。今、部屋を出ているんで、家では簡単ですけど自炊しています。
――得意料理は?
なんだろう…筑前煮とかじゃないですか。
――すごい!
だってコトコトしておくだけでいいじゃないですか。手のこんだものは作れないので。あ!でもこのあいだ人生で初めてグラタンを作ったんです!
――すごい! ベシャメルソースから?
ネットでレシピ検索して作ったので、よくわからないんですけど。オーブン機能があるレンジを買ったので、一度ぐらいは使わないとかわいそうだなって、耐熱皿を買って作りました。けっこううまくいきました!
――何グラタンですか? ポテトグラタン? シーフードグラタン?
ぼく、海鮮があまり得意ではないんで…マカロニは入ってたんで、マカロニグラタンってことで! まあ場所中になると、料理したくなくなっちゃうんですけどね。片付けるのもめんどくさいですし…
あと、ひとり暮らししていると、揚げ物作れないんですよね。一人分作っただけで油を捨てるのももったいないですし。だから部屋で揚げ物したときは、ちょっともらって帰ったりしています。
前半はここまで。後半はひとり暮らしでのこだわりインテリア、30代の抱負、一問一答などをお届けします!お楽しみに!
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Photo:Tomoko HANAI
一山本大生(いちやまもと・だいき)
平成5年10月1日生まれ、北海道出身。身長188cm、体重150kg。中央大学卒業後、北海道福島町の教育委員会職員を経て二所ノ関部屋(当時)に入門。平成29年一月場所初土俵、令和元年七月場所で新十両、令和三年七月場所で新入幕。最高位は前頭八枚目。序ノ口優勝1回、十両優勝2回。