話題の尽きなかった相撲界の2017年。
元三保ケ関親方で、現在、歌手として大活躍の増位山太志郎さんに
2017年の土俵の内側での出来事を中心に総括していただきました。
第1回目は稀勢の里フィーバーに沸いた初場所と三月場所です。
一月場所
主な出来事:稀勢の里、初優勝。場所後に横綱昇進
旧三保ヶ関部屋を間借りして稽古をしていた稀勢の里
――まずは初場所からお話を伺います。稀勢の里関が初優勝を決めました。
ようやく優勝できて、よかったよね。稀勢の里はね、うちの部屋(旧三保ケ関部屋)で半年ぐらい稽古してたの。前の部屋がなくなって、今の部屋を建てるまでの間、間借りしてたのね。
――ご縁があるんですね。稀勢の里関、どんな方ですか?
意外とね、お茶目なのよ。私に対しては遠慮するけど、うちの女房とかにはね、場所中に見せる表情とはちょっと違ったところもあって。ブスっと面白いことを言ったりするんです。
――意外ですね。
横綱になる前かな。うちの孫を抱いてもらいました。田子ノ浦親方のおかみさんと、うちの女房やお嫁さんが仲良くて、時間が合うと食事とかしているみたい。
大関陥落後も腐らない琴奨菊は立派
――ほのぼのしますね。場所の話になりますが、初場所では琴奨菊関が負け越して、大関から陥落しました。
ああいう相撲って、ちょっと調子が悪くなると腰があがらなくなっちゃう。でも落ちても腐らずにやっていて、偉いよね。がぶり寄りで勝つことがあるから、これからまた上がるかもしれませんよ。残念ながら大関から陥落はしたけれど、お客さんは一生懸命やっている姿を見たいわけですから。
自分も番付を落とした経験はあるけれど、大関から陥落して相撲をとるっていうのは、なかなか大変。それをやってるのは立派ですよ。
ある程度、年齢きてるからね。若いときに落ちたら、体力があるからカムバックもすぐ目の前に見えるけど、年齢がいくと体は衰えているからね。でも、もう一度カムバックしようっていう気持ちがないと続かないと思います。常に自分の体に鞭うって、じゃないけど、そういう姿が立派ですよ。
――琴奨菊関とはお話されたりするんですか?
よく豆まきとかで一緒になるんだけどね。真面目な男です。自分も経験あるけれど、力士っていうのは、自分に発破をかけて続いているわけだから、その発破が効かなくなったときが、引退のときだよね。
――増位山さんの発破が効かなくなったときは……
開き直り、開き直りで来てるんだけど、開き直れなくなったときが引退のときでしたね。自分の場合は、右上手をとって持ちながら、投げか、内無双か、内掛けかっていう相撲。まずは右上手をとるっていうことが大事だったんだけど、肘をケガしてるものだから、握力がなくなってきちゃってね。上手投げをうつんだけど、投げうってて手が離れてしまう。そのときに限界を感じましたね。
投げうってて手が離れちゃうんだもん。こりゃもうダメだなって。そういうのは、自分じゃないとわからないんですよね。
――みなさん、自分の中で葛藤しているんですね。
常に自分自身に問いかけながら相撲をとっていますね。その問いかけに「大丈夫」って答えられなくなったときに引退を決意する。
琴奨菊関はまだまだやれると思うから、あきらめないで自分の相撲をとってほしいですね。なんといっても、お客さんがあれだけ喜んでくれるんだし。負けがこんでいても、稀勢の里とか豪栄道にパッと勝っちゃったりするでしょ。それができているうちは、意地もあっていいと思うよ。
三月場所
主な出来事:稀勢の里、場所中にケガを負いながらも横綱昇進後初優勝。
ノンフィクションだからこそ感動を呼んだ大一番
――三月場所は、稀勢の里関の逆転優勝がありました。あのケガも…
意外と尾をひいたよね。よく筋肉を切る人がいるんだけど、力が強い人ほど切るんだよね。相手にパッと軽くぶつかっただけでも切れることもあるんです。稀勢の里のケガを見て、私は腕の筋肉が切れたのかなと思ったんだけど、腕じゃなかったんだね。胸のあたりかな。意外と重傷だったんだね。タイミングでポンッと当たっただけで切れちゃうこともあるんだよね。
――ケガを負いながらも、照ノ富士関との本割、優勝決定戦を制して、横綱としての初優勝でした。
ケガしたばかりだと、結構いけちゃうんだよね。勝負だからね。一番だから、思い切っていけたんじゃないかな。「いっちゃえ!」って。これが、これから15日間相撲とれって言われたら難しいけど。でも、あの大一番は感動を呼んだよね。ドキュメンタリー、ノンフィクションだからね。すごくドラマチック。勝負には「絶対」はないからね。それが見る人は楽しいし、感動するし。そういう意味じゃ、これ以上ないぐらいの感動を与えてくれたよね。
ーー後々まで語り継がれる一番でしたね。次回は五月場所以降を振り返ります!
増位山太志郎 ますいやま たいしろう
昭和23年、大関・増位山の長男として生まれる。高校時代は水泳選手として活躍。卒業前の昭和42年に父親が師匠の三保ケ関部屋に入門、初土俵。昭和45年新入幕、昭和55年大関昇進。史上初の父子大関が誕生した。多彩な技を繰り出す華のある相撲で土俵を盛り上げる。昭和56年引退。年寄・小野川を経て昭和59年に三保ケ関部屋を継承した。
一方、現役中の昭和47年『いろは恋歌』で歌手デビュー。昭和49年発売の『そんな夕子にほれました』が120万枚超、昭和52年発売の『そんな女のひとりごと』が140万枚超の大ヒットを連発。平成25年日本相撲協会を定年退職し、歌手活動に専念している。
Photo:Mariko Nakagawa