切符の手配から場内の案内、食事やお土産の手配まで、国技館での相撲観戦を徹底的に楽しむためのサービスを提供してくれるのが相撲茶屋です(正式には「相撲案内所」)。マス席付近を忙しそうに移動する裁着袴姿の出方さんは、相撲茶屋の案内役。
今日は現役最年長90歳の出方さん、寛吉さん(17番「藤しま家」)にお話を伺いました。
お茶屋さんに勤めて66年目の大兄弟子
――はじめまして。よろしくお願いいたします。早速ですが90歳とはとても思えないです!背すじもピンとしてらっしゃってカッコイイですね。出方さんになって、どのぐらい経つのでしょうか。
寛吉さん(以下、寛):66年目です。ここ(藤しま家)に入ってきたのが、他の人より遅かったの。若いときはゼロ戦なんかをやる飛行機会社に勤めてて、そのあと警察予備隊っていうのにもいました。写真屋さんに勤めたこともあるね。それからここだから、25、6歳だったかなァ。年下の兄弟子っていうのが5人ぐらいおりました。
――出方さんの世界でも「兄弟子」といわれるんですね。
寛:そうですね。今はここでは一番の大兄弟子になりました。相撲協会全体でもね。理事長も含めてね(笑)。
本名は小野田寛さん。昭和2年生まれという相撲茶屋の生き字引き。寛吉さんの楽しいおしゃべりと笑顔は、周囲をパッと明るくします。
――藤しま家さんとはどんなご縁があったのでしょう。
寛:うちの近所の若い人で、ここに勤めてる人がいたの。その人が池袋に住んでまして、私は音羽の写真屋さんに勤めてたの。あるとき、池袋のその人の家に数泊したら、写真屋さんに帰るのがバツが悪くなっちゃいまして(笑)。そのままそこを辞めて、ここが人を募集しているっていうから、入っちゃったんです。私は口下手なほうではないし、お客さん相手の商売も向いているかなって思って。それが知らぬ間に66年も経ってしまったんですね。
――知らぬ間に66年……!!当時は蔵前ですか。
寛:そうですね。蔵前にありました。
――お相撲は昔からお好きだったんですか?
寛:ええ、好きでしたね。子どものころはよく、相撲をとって遊びました。今みたいにゲームとかはありませんからね。相撲やめんこやこままわし、そんな遊びでしたね。
――子どもの頃、ごひいきだった力士は誰ですか?
寛:玉錦さんですね。うちの隣の16番「河平」さんが、玉錦さんのところですけど。
歩く距離は1日3万歩!足袋が3日で擦りきれたことも
――寛吉さんのご出身はどちらですか。
寛:群馬です。今も群馬に住んでいます。昨日出て来て、主人(藤しま家の若旦那)の家に泊まりました。場所中は、この茶屋(国技館内)に若い衆(出方さん)が泊まるんですけど、2年ぐらい前からその責任者もやらせてもらっています。
――国技館に宿泊するとき、お風呂はどうするんですか。
寛:相撲教習所のお風呂を借ります。昔は銭湯に行っていたんですが、今はお借りしています。
――蔵前のときも宿泊できたんですか。
寛:人数は限られますが泊まれましたよ。食事は、今は地下の食堂でいただきますが、蔵前時代は各茶屋が自炊をしていて、店によって違うものを食べておりました。まかないの担当だったこともありますよ。その頃は、蔵前国技館の前に、あさりやしじみ、豆腐なんかを売る人が来ていましたね。近所に魚屋や肉屋もありましたから、食材を調達して作るんです。
背すじもシャキッ!90歳とは思えないスタイル抜群の寛吉さん。
――いろいろな役割をされているんですね。
寛:そのころのおかみさん(常ノ花夫人)が、大変可愛がってくれてよく声をかけてくれました。服装なんかも当時は厳しくて、若い衆は長髪はダメ。よそのお店の若い衆の兄弟子の髪が少し長いと私が呼ばれて「注意してきて」なんて言われたこともあります。風紀係のようですね。
――今、出方さんは何人ぐらいいらっしゃるんでしょうか。
寛:全体で140~150人でしょうか。多いときは500人近くありました。そのころは大きな茶屋だと30人ぐらいいましたね。今、10人以上若い衆がいる茶屋は3~4軒ですね。
――入られたころ苦労したことはなんでしょう。
寛:うーん、とにかく我慢を覚えましたね。兄弟子が私にいろいろ指示しますから、何を言われてもグッと我慢でやり遂げる。あれやれ、これやれって言うもんだから、足袋が3着で擦り切れました。1日3万歩は歩いていましたよ。
――3万歩!それで寛吉さんは足腰がお強いのですね。
寛:そのころは給金もなかったんです。衣食住だけ確保されていました。収入はお客様から心付けだけでしたね。
――ええ!それは大変。でも、気が利く寛吉さんには、心付けも多かったのではないでしょうか。
寛吉さんインタビュー、次回は出方さんの「今昔ものがたり」です。
PHOTO:Kaori Murao
藤しま家
国技館に20軒ある相撲案内所のひとつ。番号は17番。戦後、第31代横綱常ノ花夫人、山野辺静代さんが経営にかかわって以降、代々受け継がれている。現在の代表はひ孫の秀明さん。
相撲茶屋の歴史をもっと知りたい方はこちら!
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「相撲茶屋のおかみさん」横野レイコ著