よくわかる大阪相撲~その② お散歩編~

「よくわかる大阪相撲」その②では、前回の歴史編(その①歴史編を見る)でたどった大阪相撲の名残を探して、大阪の街をブラリしてみましょう。大阪相撲発祥の地から、大阪国技館跡、大阪相撲ゆかりの人々が眠る四天王寺、相撲部屋が宿舎としていたお寺が密集する谷町の寺町界隈をめぐる、大阪おすもう案内です!

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大阪相撲発祥の地からスタート!

初めて大阪で勧進相撲が開催された堀江新地は、いわゆる大阪の繁華街〝ミナミ〟のエリアに隣接。アメ村こと、アメリカ村のある西心斎橋から四ツ橋筋を超えたあたりで、90年代後半からじわじわとシャレたインテリアショップ、カフェ、洋服屋さんができはじめ、今では大阪を代表するおしゃれエリアです。四ツ橋筋からもう一つ西のなにわ筋を超えたところにある南堀江公園には、「勧進相撲興行の地」の石碑と看板が立てられています。

南堀江公園
大阪市西区南堀江2-8

 

南堀江公園の最寄駅、JR難波から大和路線に乗って新今宮へ。大阪名物・通天閣のある新世界へ向かいましょう。

 

ディープな大阪が体験できると人気の新世界。駅を出て、世界のお風呂が楽しめるスパワールドの裏手へ。大正8年に完成した大阪国技館跡の石碑が建てられています。すぐ近くには、足をなでると福を招くというビリケンさんを祀ったビリケン神社も。もちろん、通天閣で大阪観光を堪能するのもよし。

「大阪市立図書館 デジタルアーカイブ」より

新世界のおとなりは広大な天王寺公園で、園内には天王寺動物園や、建物も素敵な大阪市立美術館、真田幸村本陣跡でもある茶臼山などがあり、ここだけでも2~3日は楽しめそう。次の目的地天王寺へはぶらぶら歩いてもよし、JR大阪環状線なら1駅。

大阪の相撲人とゆかりの深い四天王寺~谷町エリア

天王寺から谷町筋を北上、四天王寺前の交差点を東へ折れると四天王寺があります。創建は593年と伝えられ、聖徳太子ゆかりの古い歴史をもつお寺で、日本では最も古い建築様式の一つといわれる伽藍や庭園など見どころ満載ですが、おすもうファンが注目したいのは、ここに眠る大阪相撲ゆかりの人々。大阪相撲初の横綱・八陣こと12代小野川、大関・真鶴の9代目朝日山、初代・高田川などのほか、大阪相撲の立行司である木村玉之助のお墓も見えます。

 

(写真ACより)

四天王寺
大阪市天王寺区四天王寺1 丁目11-18

電話06-6771-0066

*現在(~2019年5月6日)、「春季名宝展」として天皇家と四天王寺をテーマに国宝・重要文化財を含む四天王寺所蔵の宝物や資料を特別展示しています。

拝観時間・拝観料・春季名宝展の詳細などはホームページ(http://www.shitennoji.or.jp/)をご参照ください。

 

ここでちょっとブレイク。大阪相撲出身の年寄と行司について。
昭和2年の東西相撲協会合併のときに大阪から17の名跡が加えられています。そのうち2つは一代年寄につき、実質は15。その後、さらに5つが加えられ、合計20の名跡が残りました。

〚大阪相撲の年寄名跡〛
<昭和2年に加えられたもの>
朝日山・岩友・枝川・大鳴門・押尾川・小野川・陣幕・千田川・高崎・高田川・竹縄・時津風・中村・湊・三保ヶ関(荒岩・鏡山〈現在のものは東京のもの>は一代年寄のため廃家)
<昭和17年に加えられたもの>
猪名川改め安治川・藤嶋改め大島・北陣・不知火・西岩

〚大阪相撲の行司〛
大阪相撲の立行司は木村玉之助。なかでも名行司として語り継がれる8代目は、晩年は木村越後を名乗り、大阪相撲の金庫番も担っていたといいます。玉之助は東西合併後も東京で立行司として受け継がれていましたが、昭和34年11月に13代玉之助の停年を最後に途絶えています。(2019年春場所現在)

さて、おすもうブラリに戻りまして、四天王寺からさらに谷町筋を北上。大阪メトロの四天王寺前夕陽ヶ丘駅から生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)の間、谷町筋と松屋町筋の間の一帯は、住所が天王寺区下寺町と生玉寺町というくらいお寺がたくさんあるエリア。寺町と総称され、江戸時代に寺院が大阪城下からここへ移転させられたため、こんなに密集しているのだとか。そして、ここには幕末に難波新地で勧進相撲が開催される際、相撲部屋の宿舎となったお寺がたくさん残っています。その名残りか、谷町九丁目交差点近くにある久成寺は現在の高砂部屋宿舎、谷町八丁目近くの本政寺は旧大鵬部屋の宿舎でした。

〚相撲部屋の宿舎となったお寺〛
圓通寺(伊勢ヶ濱部屋)
菩提寺(春日野部屋)
隆専寺(出羽海部屋)
大寶寺(立浪部屋)
銀山寺(花籠部屋)
齢延寺(佐渡ヶ嶽部屋)
など(天王寺区歴史探訪ウォーク資料より)

また、お寺めぐりだけでなく、おすもうとは直接関係ありませんが風情のある坂もお散歩におすすめ。上町台地の西の端っこに位置し、天王寺七坂とよばれています。

(南から)
逢坂、天神坂、清水坂、愛染坂、口縄坂、源聖寺坂、真言坂

源聖寺坂

口縄坂

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〝タニマチ〟の語源となった谷町というエリア

おすもうさんの支援をする人のことを俗に〝タニマチ〟といい、現在ではパトロン的な意味で広く使われていますが、その語源となったのは、このあたりの地名の「谷町」。

現在の谷町六丁目あたり、空堀商店街と谷町筋の交差点あたりにあった薄病院の院長・薄恕一(すすき・じょいち)は大の相撲好きで、ケガをした力士を無料で診察し、また病院内に土俵を作ってそこを稽古場として力士に開放していたとか。そんな薄医師を力士たちが「タニマチ!」と呼んで慕ったため、力士を支援する人を〝タニマチ〟とよぶようになったといわれています。この薄先生、もともと貧しい人からはお金をとらず、金持ちからは二倍とったといいます。残念ながら現在は薄病院も、その痕跡も残っていません。ちなみに、直木賞で知られる小説家・直木三十五は病弱でよくこの病院にかかっており、19歳のときにはアルバイトもしていたとか。

さて、このあたりでいよいよ大阪おすもうブラリも打ち止め。

最後は、大阪メトロ中央線谷町四丁目から一駅。堺筋本町で降りて、2019年3月31日(好評につき延長されました!)まで「Sumo in the sunshine」と題したお相撲展を開催中のsmilin' in the sunshineに立ち寄ってみましょう。(↓イベント詳細は画像をクリック)

もし、時間があれば旭区関目にある大阪第国技館跡を訪ねてみても。

京阪電車関目駅から徒歩15分ほどの城北川沿いに、大阪国技館跡と元相撲茶屋の様子を伝える看板が建てられています。

 

まだまだ謎が多い大阪相撲ですが、残された痕跡をたどる大阪おすもうブラリ、ぜひおでかけください!

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