相撲を撮って25年!すべての相撲人に愛される相撲カメラマン ~ベースボール・マガジン社カメラマン 椛本結城さん~

土俵下では一瞬の勝負をカメラに収め、巡業ではお茶目なオフショットを逃さない! 相撲を
撮って25年、親方から力士、行司、呼出し、床山、世話人や若者頭まで、相撲にかかわるあら
ゆる人たちから「カバちゃん」の愛称で親しまれる名物カメラマン。おすもうさん編集部が企
画・編集・取材した『知れば知るほど 行司・呼出し・床山』のメインカメラマンとしても大
活躍していただきました。今回は、相撲カメラマンになった経緯から『知れば知るほど~』の
裏話まで、たっぷりお話を伺いました!

 

始まりは「週プロ」編集部のアルバイト

―ベースボール・マガジン社に入られたのは?
写真の専門学校に行ってたんです。就職どうするってなったときに、先生にスポーツカメラマンとしてやっていきたいって話したら、「そういえば、うちの卒業生がベースボール・マガジン社の『週刊プロレス』でライターやってるな」って。一回話してみたらって言われたんで週プロに電話して編集長に対応していただいたんです。

―ターザン山本さんですか!
そうそう。で、自分の写真を持って会いに行ったら「うちは飛び込みじゃ採ってないんだよ」って言われてしまい…。でもその先輩のライターさんの名前を出したら、「じゃ、明日から来い」って話になりまして……。

―カメラマンとして?
最初は編集部のアルバイトでした。で、初出社は忘れもしない12月9日。『週プロ』って朝は誰もいないんですよ。何したらいいかわからなくて、とりあえず新聞のプロレス記事をコピーしとけって言われたからしようと思って。でも、それまでコピー機とか使ったことなかったから、近くにいた人に使い方を聞いたんです。それが亜土ちゃん(現『相撲』編集長の山口亜土さん)。

―山口さんは『相撲』編集部だったんですか?
いや、『週刊ベースボール』のバイトだった。

―それも何か縁のようなものを感じますね。
で、その日の夜に会ったのがプロレスラーの馳浩(はせひろし)さん。

―え!!大臣*になる前ですか?
そうそう。それからの付き合いだから、親しくさせていただいてます。当時よく編集部に遊びに来られてたんですよね。差し入れ持って。
*1995年参議院議員に初当選、その後文部科学大臣も務める。

―へ~。で、仕事としてはどんなことを?
メインは写真の整理。その頃はまだフィルムの時代だから、1つの大会でフィルムが200~300本くらいあって、それを試合ごとにわけて、試合の流れに沿ってファイリングしていく。プロレスは小さい頃から見てたんですけど、ちょっと偏った見方してたから……。

―どんなふうに?
猪木よりジャイアント馬場派。どちらかというと立ち向かうほうを応援しちゃう。だから、新日(新日本プロレス)の選手とかあまり知らなかったんです。

―でも、最初に会ったのは馳浩さん!
そう。馳さんからも「カバちゃん」って呼ばれてますよ。初めて選挙に出た時も2日ほど密着で撮影してました。

―金沢*まで行って?
はい。選挙が日曜日で、月曜の朝が週プロの締め切りなんです。月朝には印刷所に入れてなきゃいけない。でも編集長が「月朝一番で帰ってこい!」って、表紙を空けて待っててくれたんです。10時に羽田に着いて、昼過ぎに現像が上がって、「いい写真だな、これ表紙でいくぞ」ってほめてくれた。編集長に初めてほめられた写真でした。
*金沢:石川県選挙区から立候補。

―すごい! 週プロにはどれぐらいいらしたんですか?
2年半ですね。その後写真部に異動になりました。

―もともと相撲を撮りたかったんですか?
相撲は普通に好きで見てましたよ。中学の頃とかは千代の富士全盛期で、でもやっぱり立ち向かう方を応援したいタイプだから、大乃国とか双羽黒を応援してました。

―大乃国さんといえば、現在の芝田山親方ですが、親方からはジョークで「俺の専属カメラマン」
と言われてましたね。
芝田山さんと初めてお話ししたときのことはよく覚えています。なぜか仲間内で土俵入りの話をしてて、僕が土俵入りってこんな感じだよねって型の真似っこをしていたら、偶然芝田山さんが部屋に入ってきて、「違うよ、土俵入りはこうやるんだ」って実演して教えてくださった。だから、僕は稀勢の里関より先に土俵入りを教わったんです。

―稀勢の里より兄弟子だったとは!
実はね(笑)。

―写真部に異動になって相撲は志願して?
はい。当時相撲担当のカメラマンがいたんですが、その人が体を壊してて、レギュラーで行く人がいなかった。そこへ僕が異動してきて、行かせてほしいと志願したんです。

―相撲を撮るようになって、プロレスの現場と何か違いってありましたか?
プロレスラーをずっと見てたから、体の大きさは見慣れてました。僕ね、ずーっと裸の写真ばっかり撮ってる(笑)。もう何年もね。

―かれこれ25年(笑)!
そうね。テレビで見てると力士は年上に見えて、ちょっと近寄りがたい雰囲気がしてたんですが、いざ中に入ってみると、最初は緊張しましたが打ち解けるとすごくいい世界。

―打ち解けるきっかけってあったんですか?
貴闘力さんかな。貴闘力さんって元プロレスラーの佐々木健介さんの中学の後輩なんです(福岡市立花畑中で同じ柔道部の1年後輩)。僕はプロレスを撮ってたおかげで、健介さんとも仲がよかったんですよ。それを貴闘力さんが覚えててくれてて。初めて巡業に行ったときに、バシャバシャ撮ってたら「お前どこのもんだ!」って怒られたことがあったんですが、貴闘力さんが「この人(ちゃんとわきまえてるし変な人じゃないから)大丈夫だよ」って言ってくれて。

―週プロでの経験が生きましたね。
あと、現錣山親方の寺尾さんも高田延彦さんと親交があったから、話すようになって。そんな感じで、ベテラン力士と僕が話すのを見て、他の力士も信用してくれていったのかなと思います。

撮影の合間に髙安関と和やかにおしゃべり。

―みなさん「カバちゃん」って呼んでらっしゃいますよね。
みんな「カバ」って体形から来てると思ってるんですよね~。昔、誰かに「なんでカバちゃんっていうの?失礼だよね」って言われたことあるんですけど、いや、、、本名なんでって……。

―失礼だよねって言うほうが逆に失礼だったりしてね。
そう。本名が「椛本」っていうのはあまり知られてないんです。「カバちゃん」か「カバ」。でもね、琴奨菊関だけは「カバさん」って言ってくれるんです。

―律儀!
あと、麒麟児さんは「結城君」って下の名前で。

―それはまたなんで?
麒麟児さん、北陣親方になられてからですが、よくパチンコ屋で会ってたんです。一度、「親方、出てます?」って声かけてコーヒーを差し入れしたことがあって。それから仲良くなりました。「名前はなんていうの~」(麒麟児さんのめちゃくちゃ優しいしゃべり方のモノマネで)って聞かれて。

―めっちゃ似てます!
「あ~そう。結城ちゃん。結城ちゃんね~」(モノマネで)って。一度ごはんに連れて行ってもらいました。

―何を食べたんですか?
大阪場所のときに、朝11時くらいに府立体育館の近くのそば屋に。僕、起きたばっかりだったんですが、そばなら食べられるかなと思ったら、ものすごい量を注文されて……。「結城ちゃん、どんどん食べなさ~い」(モノマネで)って。二人しかいないテーブルに尋常じゃない量の料理が並んでるから、他のお客さんに爆笑されました(笑)。

―でも、親方優しいから。
そうなんです。「食べられるでしょ~」「せいろ追加~」ってどんどん追加されて。あれは食の可愛がりですね(笑)。で、「もぎりの仕事があるから先行くね~。食べてなさ~い」って置いて行かれちゃったんです。

―あららら…。
相撲界って食事を出されて遠慮するとそこまでなんだけど、お代わりとかすると歓迎されるんです。初めて相撲部屋に取材に行ったときも、ちゃんこお代わりしましたよ。

―何部屋だったんですか?
玉ノ井部屋かな。今の玉ノ井親方が栃東のときで、十両に昇進して先代(お父さん)と対談してもらったんだと思います。そのときの玉ノ井部屋のちゃんこがすごくうまくて。

―朝からおかずもいっぱいあって豪華ですよね。
取材のなかの楽しみのひとつではありますよね。

―巡業での思い出って何かありますか?
元千代の富士の九重親方と街でバッタリ会って、それ以降何度か飲みに連れて行ってもらいましたね。

―力士とご飯とかは?
基本的に、場所中はそんなに誘われないしあまり行かないようにしてるんです。だって、その翌日に負けちゃったりしたら、カバと飯食ったら負けるって言われたくないし(笑)。逆はありですよ。ゲン直しに飯行くから付き合ってって言われたら喜んで行きます。

―地方場所は行きつけの店とかあるんですか?
九州はありますね。大阪はあんまり。名古屋はサウナぐらいかな。

―暑いのに?
それはね、僕がビジネスホテルのお風呂に入れないから。

―小さいから?!
ユニットバスはね。体洗うにもぶつかるし。大きいお風呂でゆっくりしたいって時にサウナ行きます。

―そういえば、椛本さん親方衆から新弟子よりでかいなぁって感心されてましたよね。

 

『知れば知るほど 行司・呼出し・床山』撮影裏話

―ではでは、今回の『知れば知るほど 行司・呼出し・床山』のお話を。椛本さんがメインで撮影をしていただきましたが、最初の打合せは去年(2018)の九月場所前でしたね。この本は半分以上が写真とあって、撮影リストは膨大でした。この時リストをご覧になって感想は?
最初に見た時はすごかった。なかにはいつも抑えているシーンもあったんですが、装束や草履の職人さんとか、そこまで行く!?ってのもありましたね。でも、そこまでやらなきゃ、この本の意味がないって思ったので、やりましょう!って感じでした。

―土俵草履は山形まで行きましたね。職人さんは初めての撮影だったと思いますが、裏方さんをここまで撮影されることって今までありました?
ないですね。なんとなく行司さんが土俵以外の仕事してるのは知ってましたが、いざ取材に行くと、こんなことやってたの?!って思うことがいっぱいありました。行司さんってちょっと学校みたいだなって思ったり。習字もそうですが、巻*を作るのに何枚も紙にのりをつけて貼っていくとか。
*巻:全力士の勝負付がされた巻物状の紙

―ちょっと工作みたいでしたよね。延々赤鉛筆で線を引き続けるとかね。
細かいですよね~。僕にはできないなって思いながら撮ってました。

―面白かった撮影は?
板番付とか、テレビで書いているところを見たことありましたが、生で見ると違いました。あと、軍配は実は前から撮りたいと思っていたんです。それぞれに思い入れとか、今まで受け継がれてきた歴史とかストーリーがあるだろうから、ぜひ紹介したかった。

―本当は全員分撮りたかったんですが(幕内格の行司さんのもののみ掲載されています)、ページに限りがありましたね。
資料として、全員分撮っておけばよかったなとも思います。あと、マゲ棒*は意外と差が出ましたね。撮ってって言われた時、どれも同じじゃないの?って思いましたが。
*マゲ棒:大銀杏を結う際に使う、床山さん手づくりの道具。

―それぞれにストーリーがありました! 譲りマゲ棒もありましたしね。
こだわりがありました。

―私はオフショットがけっこうおすすめなんですが……。
こういうのを載せてもらえると、撮ってる方もうれしかったし、撮られてる方もうれしいんじゃないかな。ふだん、裏方さんのオフショットはそんなに撮らないから「なんで撮ってるの?」って言われたりして、「いろいろとあるんですよ。ふふふ」って言いながら撮ってました。

―土俵上でも力士ではなく、呼出しさんや行司さんを撮ってくださいとお願いしたんですが、
違和感というか、何か変な感じはありました?
それはなかったですね。行司さんがいて初めて相撲っていうか、行司さんも相撲のなかのひとつなので。行司さんにも個性があるしね。

―土俵下にたくさんのカメラマンさんが座ってますが、ベースボール・マガジン社はどのあたりに?
座る場所は実は決まっていて、新聞社のカメラマンさんは公平を期すために、順番に毎日位置が変わるんです。でもベースボール・マガジン社の『相撲』は相撲協会の機関誌でもあるので、正面の東か西に固定なんです。

―何人体制なんですか?
基本2人。土俵下と2階からも撮っています。天皇陛下が座られる座席の横です。あと何日かは1階の通路後方からも撮れる日があるので、その日や支度部屋などの雑感を撮る日なんかは3人体制。

椛本さんがカメラを構えると、力士もポーズとともにこの笑顔!

―先ほど、週プロの頃、フィルムの整理が膨大な量だったとおっしゃってましたが、デジタルになっても膨大ですよね。私たちは場所中の写真からピックアップさせていただきましたが、膨大すぎて選ぶのに心が折れそうになりました。1000枚の中から1枚探すくらいでした。でもね、写真探してるとどうしてもいろいろ見入っちゃって、巡業の写真とか本当に探してて楽しかったです。特に力士も裏方さんたちも、椛本さんにめっちゃいい笑顔するんですもん。
ありがたいです。相撲を撮るようになって、とにかく顔を覚えてもらうためにどんなに細かい撮影でもやらせてくださいって上司に言って行かせてもらってました。どの競技にでも言えますが、覚えてもらってこの人ならっていう信頼というのが大事。

―式守伊之助さんも椛本さんに絶大な信頼を寄せておられました!餅つきのオフショットも椛本さんだからこそです。
あの日はちょうど、稽古場の木札を「式守勘太夫」から「式守伊之助」にかけかえるところで、それが撮れたんですよね(残念ながらその写真は掲載されていませんが……)。

―そうでした! 朝早くから行った甲斐がありました。力士から「早いっすね」って驚かれました。椛本さん、寝ないでいらっしゃったんですよね。
はい。起きる自信なかったんで。

―ほかに印象に残ってる撮影は?
山形まで行った軽部草履ですね。写真部の部長に航空会社の機内誌みたいに撮ってこいって言われて(笑)。

―そんな感じですよね。日本の伝統文化を伝える、みたいな。本当はもっと細かい工程をいっぱい撮影してもらったのに、、、、使えなくて残念。
この撮影以外も、何年も相撲撮ってても見たことなかったものがいっぱりありましたよ。だから、これっていうよりは、全体的に撮ってて楽しかったです。

―この本の第2弾があったら今度は何を撮りたいですか?
もう撮っちゃったでしょ(笑)。

相撲カメラマン歴25年の椛本カメラマンでも“初めて”だらけだった『知れば知るほど 行司
・呼出し・床山』の撮影。相撲初心者はもちろん、相撲マニアの方までじっくり楽しんでいた
だける1冊となりました。ぜひぜひ手に取っていただけると幸いです。

椛本結城(かばもと・ゆうき)
ベースボール・マガジン社 写真部所属
相撲をメインに、プロレス、柔道、陸上などさまざまなスポーツカメラマンとして活躍中。

photo:中川真理子、村尾香織

『知れば知るほど 行司・呼出し・床山』
相撲編集部 編著(ベースボール・マガジン社発行)
1500円+税
*企画編集取材:おすもうさん編集部

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