伊勢ノ海部屋の名物マネジャー・浅坂さんがおひさしぶりにご登場!日刊スポーツ・佐々木一郎さんの話題の書『稽古場物語』に便乗し、浅坂さんの稽古場物語をうかがいました。
――今日は浅坂さんの稽古場物語をうかがいたいと思います。浅坂さんが角界入りされてから、今の伊勢ノ海部屋(文京区)は何か所めですか?
3か所め。最初は両国だったんです。10代の伊勢ノ海親方ね、先々代。横綱・柏戸関の師匠。ぼくは昭和55年に上京してきて、それからしばらくは両国に部屋がありました。
――当時はやはり両国にある相撲部屋が多かったんですね。
みんな両国。出稽古もよく行っていたなぁ。
――両国の伊勢ノ海部屋、覚えています?記憶をたどってかいてみてください!
昔の相撲部屋は、だいたいつくりが似ているんですよ。玄関開けてまっすぐ廊下があって、その先に小部屋があって。廊下の途中に扉があって、土俵と小上がりがあるの。
――あ! たしかに、昔からそのままの相撲部屋はそんなつくりです!
今、そういう部屋ある?
――千賀ノ浦部屋とか。
昔の高砂部屋だから古いよね。『ひらり』って朝ドラあったでしょ?あれに出てくる相撲部屋のモデルは昔の鏡山部屋っていう説があります。横綱・柏戸関のね。その鏡山部屋の元は両国にあった伊勢ノ海部屋だから。
――へえ。
で、若い者の部屋がここにあったかな。大部屋が2つあったんだけど、1つは兄弟子が独占してたんですよ。大部屋でごろんってなってテレビ見てたりね。
――関取ですか?
ううん、関取じゃない。
――え!大部屋を独占なら関取の個室より広いじゃないですか!
当時はそういうこともありました。
――おおらかな時代ですね。
描きあがった両国時代の伊勢ノ海部屋!
――今はこの場所はどうなってるんですか?
10代の伊勢ノ海親方が、定年前に亡くなって、壊しちゃったんだよね。自分が入門したところがなくなるのは、やっぱりさびしいですよ。
――2か所目はどちらへ?
10代の伊勢ノ海親方が亡くなって、元藤ノ川の11代が江戸川区に部屋をおこしたんです。
――所縁があったんですか?
そこね、北の富士さんの九重部屋だったんですよ。
――へえ〜
北の富士さんが両国に来るから場所が空くっていうんで、声かけてもらったみたい。
――相撲界の横のつながりがあるんですね。
横綱も出てる部屋だから、縁起もいいですよね。出羽海一門の部屋はなまこ壁が特徴なんだけど、そこもなまこ壁でしたよ。
――あ、境川部屋もなまこ壁でした。
へえ。うちの部屋に所属していた34代庄之助の伊藤さんは、小岩出身だしね。一番長くいましたよ、江戸川区。
――何年ぐらい?
昭和58年から平成23年までいたから28年。勢も錦木も、江戸川区の部屋でスタートしたんですよ。
――それから文京区に?
先代の師匠が定年で、当代になったので引っ越し。
――今の部屋は元お蕎麦屋さんなんですね。『稽古場物語』にも詳しく載っています。
お蕎麦屋さんだったときの玄関は、今の勝手口なんです。
――へえ
テッポウ柱などは、江戸川の部屋から持ってきました。旧九重部屋のものなので、横綱も育ったゲンのいいものですし。
――伊勢ノ海部屋、雰囲気がとてもいいですね。アットホーム感があります。
そうですか?2人の関取が若い者を引っ張ってくれてます。
――春場所、期待しています!
浅坂さんからお借りした、貴重な両国時代の稽古写真。白熱!