浅坂さんの“珍四股名”〜動物編〜

“相撲の知恵袋”、伊勢ノ海部屋マネージャー・浅坂さんが、古今東西の“珍四股名”を自慢のお宝資料とともに紹介します。

第3回のテーマは「動物」! 四股名には「馬」「虎」「熊」など大きな威勢のよい、強い動物の名が好んで使われました。意外にも多いのが第1回でお届けした「猫」なのですが、これは庶民に愛されたため、今回の動物編は強さへの憧れといえるでしょう。

*画像はすべて浅坂さん私物
*イラストはすべて浅坂さんのお姉様画

 

猪シ鍋吉(いのしし・なべきち)

明治時代の力士で、巡業番付では幕内にいますが元々大阪相撲の力士と考えられます。同じ番付の西に「猫又」(→猫の回を読む)が。さらに序二段には「狼」もいます。

この猪は初っ切りもやっていたようです。

明治27年東京相撲巡業番付。東前頭5枚目に猪シ、西前頭3枚目に猫又、東序二段には狼が

 

狼七郎(おおかみ・しちろう)

大阪相撲から東京へ移籍した力士で、のちの関脇玉手山。鋭い眼光で、ウルフ千代の富士を連想させますね。雷部屋所属。

玉手山時代の狼。眼光鋭いイケメン

 

驪駒之介(くろうま・こまのすけ)

天保時代の巡業番付二段目にいる力士。詳細プロフィールは不明ですが、伊勢ノ海一門の番付に掲載されているので、伊勢ノ海力士と思われます。

天保時代の巡業番付、西の二段目に驪駒之介が見えるほか、荒熊、鯱、鶴ヶ崎、鳥井崎、獅子ヶ滝など、動物の名の付いた四股名が多く見られます

 

象ヶ鼻平助(ぞうがはな・へいすけ)

明治初期の人気大関。鍬形(くわがた)→轟(とろどき)→象ヶ鼻と珍四股名を名乗っています。骨格たくましく力もありましたが、体格は171㎝、103㎏で、実は象のように大きくはありませんでした。

明治4年3月場所の番付。象ヶ鼻は西の大関

 

鯱和三郎(しゃちほこ・わさぶろう)

寛政時代、春英による錦木―鯱の熱戦

初めは大阪力士、寛政〜文化は江戸で幕内として活躍。なんといっても44連勝中の雷電を破る大殊勲を挙げたことで知られています。時は寛政12年(1800)10月、浅草御蔵前八幡神社境内にて。初日叩き込みで負けた雷電はその後38連勝しています。つまり、83連勝を阻んだことにもなりますね。「負けてこそ 人にこそあれ 相撲とり」と詠まれた番狂わせでした。

今回は浅坂さんのお宝番付コレクションもたっぷりお届けしました。番付の四股名を眺めていると、動物以外にもいろんな四股名を発見して楽しいものです。ぜひじっくりご覧ください!

 

浅坂直人
あささか・なおと 伊勢ノ海部屋マネジャー。北海道利尻島生まれ。札幌旭丘高校出身。元三段目・雪光山(昭和55年五月場所初土俵、平成4年九月場所引退)。同期の関取は栃ノ華、旭道山。相撲文化を愛し、相撲関連書籍、資料を多数所有し、専門誌の連載や講演も行う。相撲趣味の会会員。好きなアーティストはジェフ・ベック、エリック・クラプトン、アニマルズ、ザ・ショッキングブルー、日本のGSなど。(↓巡業で甚句を歌う雪光山〈浅坂さんの現役時代〉)

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