引退記念企画! “駿馬赤兎”一代記 ①-幼少期から入門まで-

最高位・東幕下22枚目ながら、史上最高齢での幕下昇進、30歳以上での幕下昇進場所では初の勝ち越し力士という記録を打ち立てた元伊勢ヶ濱部屋所属の力士・駿馬赤兎さん。令和元年五月場所での引退を記念して、おすもうさんでは駿馬さんの相撲人生を振り返るインタビューを決行! 知られざる駿馬赤兎一代記をお届けします! 最後には駿馬さんから素敵なプレゼントのお知らせもあります~。

-まず、引退されたのでご本名の中板秀二(なかいたしゅうじ)さんなのですが、相撲ファンにとってはやっぱり“駿馬さん”なので、このインタビューでは駿馬さんでいかせていただきます!
はい!

実家の電機店の店先で。2~3歳ごろの駿馬さん。

実は相撲が好きではなかった少年時代

―では、幼少期の奥能登時代から。ご出身地でいうと?
珠洲市(すずし)というところです。

―塩田とかあるところですかね?
はい。揚げ浜塩田といって、すごく有名です。

―でもご実家は電機屋さんだそうで。
そうなんです。今年でもう店は閉めちゃうんですが……。

―そうなんですか。ご兄弟は?
兄と弟の3人兄弟です。

―3人とも相撲をされていたんですか?
小学生のころはみんなやっていましたが、弟は2年ほどでやめてしまって、兄は中学まではやってましたね。

―地元の相撲クラブに入られてたんですか?
いえ、学校の部活です。私がいたころは、市内の小中高の全部に土俵があったんですよ。

小学三年生の駿馬さん(左から2人目)。

奥能登大会で団体優勝したときの駿馬さん(小学五年生、左から2人目)

市大会3位入賞の駿馬さん(小学六年生、後列左から2人目)

―さすが! 相撲が盛んなんですね~。
土地柄ですね。でも大相撲まで行く人はいなかったですね。私はそんなに強い方でもなくて、もっと強い人もいたんですが、大相撲に進んだ人はいなかったです。だから、親にも「お前なんか行ってもダメだ」って言われました(笑)。

―当時憧れていた力士とかいらっしゃったんですか?
あまりこの人に憧れてっていうのはなかったんですが、相撲もやりつつトレーニングをして鍛えていたんで、戦闘竜(せんとりゅう)さんの体はちょっと憧れてました(笑)。

―アメリカの方でしたっけ?
はい。幕内までいかれたんですが、こんなにいい体のおすもうさんもいるんだって思いましたね。でも、こんなに筋骨隆々でも、まだその上の番付のおすもうさんがいて、体だけじゃない大相撲の奥深さを感じてました。

―けっこう珍しいですよね。
間垣部屋に入門したとき、親方に「誰のファンなの?」って聞かれて、戦闘竜さんですって答えたら「レアだなぁ」って言われました(笑)。

―小兵でいうと当時舞の海さんとかいらっしゃったと思いますが……。
でも、取り口が違いましたから。私はあんなに器用ではなかったので……。

―子どものころ、相撲をやっていてどんなところが楽しかったんでしょうか?
実は楽しくなかったんです。

―え!
高校3年まで楽しいと思ったことはなかったように思います。兄が相撲をやっていて、近所の人が教えてくださっていたので、なりゆきで自分もやるようになったんですが、きついし、痛いしで。勝つとおもしろいんですが、そこまでも強くなかったですし……。

―でもやめなかったんですよね?
中学に入るときに部活を選べたので、やめようと思ったんです。でも、小学校のとき一緒にやってた子が「僕は相撲やるよ」って言ったので、その子がやるならという感じで。

―高校のときは?
高校でもやめようと思っていて、顧問の先生から誘われたんですが断ったんです。そうこうして半月くらいたったときに、先生に呼ばれて「相撲やらないのはわかった。生年月日と身長と体重だけ教えてくれ」って言われて。

―それは怪しいですね~。
はい。教えたら大会に、

―エントリーされてた!
そうなんです! で、出ることになって、それからですね。

―先生うまいことやりましたね~。ちなみに高校時代の思い出とかは?
ちょっと落ち着きがないというか……。目立ちたいみたいなのがあって、友だちと中庭で糸電話をやって遊んだりしてました。100メートルくらいの。糸電話ってどれぐらいまでできるんだろうって。

―糸電話の限界に挑戦! みたいなことですか?
はい。そういうので注目を浴びようとしてみたり、文化祭で漫才してみたり。それも糸電話の友だちと一緒にやったんです。お互い大学に行けなかったらコンビ組もうって言ってたんですよ。

―へ~。相撲に進む気はまったくなかったんですね。
高校生のときは身長も伸びなかったし、当時第二新弟子検査もなかったので相撲とりになる気はなかったですね。私は大学に進んで、相方は専門学校に進んだんで、コンビは組まなかったんですが……。
*2001年から実施された制度で、体格基準に達しなくても、身長167センチ以上、体重67キロ以上であれば体力検査に合格すると入門できるシステム。2012年に廃止。

―じゃ、もしかしたら今頃M1とかに出てたかもなんですね~。

 

やめて初めて相撲への思いに気づいた大学時代

ー大学は相撲部のない杏林大学に進学されたんですね。
はい。でも実は、4校ほど大学からお誘いはあったんですよ。

―どちらから?
拓殖大学、愛知学院大学、近畿大学、東洋大学です。一応、高校のとき、県大会の軽量級で優勝しているので。

―すごい! 相撲強豪校ばかりじゃないですか!
でも断ったんです(笑)。

―へぇ~。もったいない。
でも、ですね……、大学に行って半年くらいは友だちもできて楽しかったんですが、なんかむなしくて。それで、今までにあって、今ないものってなんだろうって考えたら、相撲だ!って気づいて。でも大学には相撲部がないですし、稽古ができない、じゃぁどうする? となって、そこから相撲部屋に入りたいって思うようになったんですよ。ちょうどそう思ったときに、第二新弟子検査ができたんです。

―運命ですね。
はい。自分のために第二新弟子検査ができたようにすら思いました。でも、そこから1年くらい悩んで。大学2年生の終わりに実家へ帰ったとき、両親に「相撲とりになる」って言ったんです。

―ご両親も相撲はやめたと思ってらっしゃったんでしょう?
もう唐突だったんで母親は泣いてましたね。でも父親は「お前なりに考えがあるんだろうから、やりたいことはやったらいいけど、大学に行かせてるんだから大学はちゃんと卒業しなさい。卒業したら自分の人生だから好きにしなさい」と言ってくれて、大学は卒業しました。

―ちなみに大学は中国語学科ですが、なぜでしょう?
中学生のときは英語の先生になりたかったんです。英語の成績もよかったんですが、高校でちょっと落ちこぼれてきて……。

―糸電話とかやってるからじゃないですか?
(笑)変なことやりすぎて……。でもまぁ、教師になりたいっていうのはあって、第一志望は英米語学科で落ちたら新しい語学を始めようと思ってたんです。語学が好きっていうのと、中国語だったのはジャッキーチェンとかブルースリーの影響もありますかね。

―サークルとか入らなかったんですか?
やめたくせに相撲にプライド持ってて、なんか他のスポーツをやるのがいやだったんです。アメフトとかラグビーから誘いはあったんですが……。近くのジムでトレーニングするくらいでしたね。

―キャンパスはどこだったんですか?
八王子です。八王子の隣の西八王子という駅の近くで一人暮らしをしてました。体を鍛えたり、体重を増やしたり減らしたりコントロールしてみたりというのを楽しみながらやっていて、学校まで10キロあるのを自転車で行って帰りは走って帰ったりしてました。

―じゃ、勉強と体を鍛えるので4年間過ぎていった感じですか?
えーーっと…後は遊びが……。遊びがメインというか……(笑)。

―笑! なにして遊んでたんですか?
カラオケとボーリングですね。ボーリングは奥能登にはなかったんです。だから大学まで1回くらいしかしたことなくて。でも友達はけっこうやってたので悔しくて、負けたくなくてやってるうちにかなりのハイスコアが出せるようになりました(笑)。

―最高は?
220くらい。

―すごい! 力士の方って部屋でもボーリング大会とかよくされてますよね。
そうですね。

―余計なお世話ですが、指は入るんですか?
入りますよ。入らない人もいますけど。でもまぁ、指がでかいので一番重い球しか入らないってのはありました。そうすると自分が使いたい球で投げられないんですよ。

―力士あるあるですね。では、いよいよ入門となるんですが。もう心は決まってたんですかね。
自分では就職活動はしていなかったのですが、中国語学科に行っていたので中国の蘇州で日本語教師をやらないかって話もあったんです。でも、その話は受けずにまずは相撲部屋に入ることを考えてました。

―間垣部屋を選ばれた理由は?
ゼミの志望理由書に将来の夢を書けって言われて力士と書いたら、先生にうちの学校に元力士の教授がいるよって紹介されたんです。

―元力士で教授ですか!
あ、実際は力士ではなくて、部屋に出入りしてた方だったんですが、当時の間垣親方(元横綱・2代目若乃花)と知り合いで、そんな縁で間垣部屋に入門することになりました。

―第二新弟子検査が導入されたとはいえ、実は身長は微妙だったんですよね。
そうです。それは部屋のみんなも知ってたので、とりあえず寝とけって言われて(笑)、新弟子検査の前の2日間はずっと寝てました。

―寝たらちょっと伸びるっていいますもんね~。
どうなんですかね。寝すぎて背中が痛かったです(笑)。

―で、さらに毛を忍ばせた?
まず、10月に部屋の見学に行ったときは坊主だったんで、とりあえず毛をのばしたほうがいいと言われて、伸ばしてきたんです。で、前日にかつらを仕込もうって三杉里さんが言いだして、床山さんが使うすき毛を丸めて、頭頂部をバリカンで刈ってのせたんです。

―刈らずに乗せたほうがよかったんじゃないですか?
ええ、よかったと思うんですが……(笑)。

―じゃ、しばらくカッパ状態だったんですか!?
そうです。

―計測は緊張しましたか?
測ってくださったのが先代の九重親方(元千代の富士)で、そっと「大きく伸びて」って言ってくださって。でも、あからさまに背伸びしていいものかどうかわからなくて……。それほど足りてないわけでもないですし……。

―微妙ですよね。毛も足してるし。
はい。ちょっとつま先は上げましたかね(笑)。でも「合格」って言われて、その瞬間、これで相撲とりになれるんだ!って思いました。

晴れて入門かなった大相撲。次回は間垣部屋入門から伊勢ヶ濱部屋への移籍にいたるお話、そして駿馬赤兎という四股名の裏話をお届けします。お楽しみに!

 

駿馬赤兎(しゅんば・せきと)
本名は中板秀二(なかいた・しゅうじ)、昭和56年12月18日生まれ、石川県珠洲市出身。平成16年1月に間垣部屋に入門、同年三月場所で初土俵。平成25年三月場所後に部屋の閉鎖に伴い伊勢ヶ濱部屋へ移籍。平成29年三月場所、史上最高齢で幕下昇進、6勝1敗の好成績で、30歳以上で幕下昇進を果たした力士で唯一同場所にて勝ち越しを決める。令和元年五月場所で引退。

駿馬さんから素敵なプレゼント!
ご応募を締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。

開荷風ティッシュケース 2名様
サイドにそれぞれ「駿馬」「赤兎」の四股名が入ったティッシュケース。

駿馬さんプリントハンドタオル 2名様
凛々しい立ち合いのシーンがプリントされたハンドタオル。

<ご応募方法>
件名を「駿馬さんプレゼント希望」としていただき、お名前、メールアドレス、希望商品名、「おすもうさん」サイトでおもしろかった記事を3つご明記のうえ、info@osumo3.comまでご応募ください。締め切りは2019年9月15日まで! 応募者多数の場合は厳正なる抽選のうえ、ご当選者のみメールにてご連絡いたします。
*お預かりした個人情報は、適切に管理し、プレゼントの発送やサイト制作の参考にさせていただく以外の目的で使用いたしません。

撮影協力
喫茶ミカド
東京都墨田区江東橋3-6-10
伊勢ヶ濱部屋のすぐ近くにある駿馬さんはじめおすもうさん行きつけの喫茶店。手づくりのフードメニューも人気でランチタイムは満席に。駿馬さんはいつもアイスコーヒーを飲んでからごはんのパターンが多いそう。ランチタイムは料理にサラダ、みそ汁、飲み物がセットに。

Photo:村尾香織(子ども時代の写真を除く)

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