引退記念企画! “駿馬赤兎”一代記 ②-間垣部屋入門から伊勢ヶ濱部屋移籍まで-

最高位・東幕下22枚目ながら、史上最高齢での幕下昇進、30歳以上での幕下昇進場所では初の勝ち越し力士という記録を打ち立てた元伊勢ヶ濱部屋所属の力士・駿馬赤兎さん。令和元年五月場所での引退を記念して、おすもうさんでは駿馬さんの相撲人生を振り返るインタビューを決行! 知られざる駿馬赤兎一代記第2弾では、入門から四股名にまつわる秘話、部屋の移籍のお話などをお届けします! 最後には駿馬さんから素敵なプレゼントもあります~。

四股名の名付親は兄弟子の若天狼

―入門時は四股名は本名でした。
はい。中板(なかいた)で2年ほど。

―中板さんって出身地の珠洲市(すずし)ではいっぱいある名前なんですか?
いや、ないです。石川県でも私の家と、珠洲市の親せきがもう一軒だけです。全国探したらある地方には固まってあるようですが、まだ親戚以外の中板さんにはお会いしたことがないです。

―同期もたくさんいらっしゃいますね。
岩友(いわとも)親方(元・木村山<きむらやま>)、立田川(たつたがわ)親方(元・豊真将<ほうましょう>)、佐ノ山(さのやま)親方(元・里山<さとやま>)、磋牙司(さがつかさ)さん、大岩戸(おおいわと)さん、白乃波(しろのなみ)さん、あと年はちがいますが益荒海(ますらうみ)さん、出羽疾風(でわはやて)さんがいますね。

―みんなでご飯食べてらっしゃる写真がSNSにあがってたのを拝見しました。
あれは同級生会だったと思います。定期的に集まるんですよ。

―今もですか?
はい。このあいだ集まったのは私の“引退しますの会”。その前は里山引退のとき。

―ことあるごとに集まるんですね。
でも、一番最初だけ同期会やろうって集まったんですが、その後はみんな都合があるので、だいたいは誰かの引退のときになってしまいますね。

―そういうお年頃ですね。教習所のころは同期はどれぐらいいらっしゃったんですか?
80人くらいでしょうか。

―わりと豊作の年というか、けっこう長くやられてる方が多い年ですよね。
今は15年たちましたので、さすがにそんなに人数はいませんが、わりと残ってるほうだと思います。10年目くらいのときでも30人ほど残ってました。

―入門翌年の九州場所で、竜聖さんとの優勝決定戦を制して序二段優勝をされましたね。このときの賞状などはどこに?
実家に「駿馬コーナー」があって、そこに相撲協会からのと東西会からのの2枚の賞状と、賞金の金一封の袋などが飾ってあります。ほかに、新聞記事とか、ファンの方が撮ってくださった写真とか、懸賞袋とか、照ノ富士の記事にちょこっとでてたのとか(笑)、いろいろ。

―それはご両親が?
母親ですね。

―大相撲に入ると言ったときは泣いておられたお母様でした(その①参照)が、喜んでくださったんですね。
いつのまにか応援してくれてましたね。

ご実家の駿馬コーナー。所せましとさまざまな駿馬グッズが!

―その優勝から1年後に改名されていますが、きっかけは?
ちょっとスランプで負け越していて……。

―駿馬は親方が?
いえ、実は兄弟子の若天狼(わかてんろう)さんなんです。当時の間垣部屋は「若」がつく四股名が多くて、「若御笠(わかみかさ)」という力士がいたんです。その「わかみ」という響きを親方が注目されて、梅林さんという方が「若三梅(わかみうめ)」、若泉剛さんって方が「若三剛(わかみごう)」、藤田さんは「若三藤(わかみふじ)」って感じで。

―若三シリーズ!
はい。若三シリーズが流行ってて、次は自分の番だなってなってて、噂では中板だから「若三中(わかみなか)」か「若三板(わかみいた)」だと。でもそれはちょっと……と思って(笑)。それで、当時若天狼さんの付け人をしていたので相談をしたら、兄弟子が広辞苑開いて考えてくださったんです。

―そうだったんですね。
いろいろ案を出してくださったんですが、「駿馬」は足の速い馬って意味で、すばしっこい相撲をとるしいいんじゃないかって。本当は“しゅんめ”と読むけれど四股名っぽくないから“しゅんば”って読んだらどうだ?って言われて。すごくいいなと思いました。

―親方の「若三」へのこだわりは大丈夫でした?
あっさり「いいよ~」って言ってくださいました。

―よかったですね。赤兎(せきと)さんは?
その2~3場所後に赤兎に改名しました。

―時間差だったんですね。
はい。駿馬に改名しても成績が上がらなかったんで、若天狼さんの提案で赤兎に。

―どのような経緯で?
三国志に赤兎馬(せきとば)という馬が出てくるんですが、赤兎馬は「赤兎」という名前の馬ということです。四股名は名字と名前にわかれているから、駿馬が名字なら名前は赤兎というところから「駿馬赤兎」になったという経緯です。

―カッコイイ名前ですよね~。
最初、駿馬って聞くと「競馬好きなの?」ってよく言われました(笑)。でもそのうち浸透してきて、駿馬=私と認識してもらえるようになりました。

―しっくりきます。中板さんより駿馬さんって感じ。
そうなんです。引退しても駿馬さんって呼ばれてます(笑)。

部屋の移籍を乗り越え、最高齢での幕下昇進へ

―間垣部屋では9年間在籍されましたが、2013年に部屋の閉鎖にともなって伊勢ヶ濱部屋に移籍されますが……。
実は伊勢ヶ濱部屋というのは寝耳に水でした。大阪場所が終わってすぐに移籍したんですが、知ったのは初場所の14日目。

―一門ではありませんでしたよね?
はい。同門ならなんとなく部屋の様子がわかるんですが、一門が違うとまったく交流がないので、ちょっと不安でしたね。横綱もいらっしゃったし、関取衆も多かったですし、どんな感じなのか想像ができませんでした。

―一番の違いは?
ちゃんこと稽古ですね。

―ちゃんこというのは?
鍋を作らないんです。お客さんが来られたときだけ鍋を作ります。

―ふだんは?
鍋がない分おかずの品数が多かったですね。汁物、サラダ、炒めもの、揚げ物、煮物と5品くらい。

―へぇ~。部屋によっていろいろなんですね。稽古は?
まず人数が違いますよね。間垣部屋は私と照ノ富士(てるのふじ)と若青葉(わかあおば)の3人で、私は小兵、照ノ富士は四つ相撲、若青葉は200kgのアンコ型とそれぞれタイプが違うので、おもしろい感じで稽古できてはいたんですが、伊勢ヶ濱部屋ではやっぱり活気と稽古相手の量もぜんぜん違いました。

―時間的には?
長かったですね。番数的には3人でやってたときと変わらないんですが、時間が長いと疲れますし、まわしも痛くなってきますし。

―移籍して最初の稽古は覚えておられますか?
はい。私が番付が一番下だったのでトップバッターで稽古に参加したんですが、勝ち抜き戦みたいになってて。幕下くらいまではなんとか太刀打ちできたんですが、そのあと若青葉が入って、照ノ富士が入ってって、なんだか対抗戦みたいになってきて…(笑)。最初の2日間はそんな感じでしたね。

―あちらも探り探りという感じだったんでしょうか?
私たちは移籍してナメられたくないっていうか負けたくないって気持ちもあって、向こうも違う部屋からきたやつらに負けたくないってあったかもしれません。そういう意味でも活気があったというか。稽古はきつかったですが、楽しかったです。

―伊勢ヶ濱部屋といえば、先場所で安治川(あじがわ)親方(元・安美錦<あみにしき>)が引退されましたが、何か思い出はありますか?
移籍した当初から安美錦関はいろいろと気にかけてくださり、本当によくしていただきました。稽古はもちろんですが、お宅にも招いてくださったり、後援会の方々を紹介してくださったり。挙げればきりがないほどお世話になりましたし、すべてよい思い出です。

―そうなんですね~。伊勢ヶ濱部屋移籍後、三段目に定着されて、2017年初場所で6勝、三月場所でついに幕下昇進となります。これは史上最高齢での昇進ですね!
それまでに幕下に上がるチャンスは10回くらいあったんです。でも勝ち越せばってところや、あと一番ってところで負けてるんです。

―2017年初場所は何が今までとは違ったんでしょうか?
初日は負けたんです。同部屋の呼出しの照矢さんに「ちょっとダメかも。相撲に気持ちが入らない」って話したのを覚えています。

―そこから連勝できたきっかけとかあったんですか?
次の相撲でギリギリ勝ったんです。そこから調子が上がってきて、あと1番で幕下ってときに、それを意識せずに自分の相撲をとろうと思って。それがよかったんだと思います。やっぱり上に上がれなかったのは、気持ちの問題が大きかったです。

―勝ちたいと思うとダメといいますね。
その1年ほど前から、自分の相撲をとることを意識していて。負けると勝ちたいって気持ちが出て、勝つための情報を得ようとしてしまう。でもできるだけそういうのを減らしていきました。

―自分の相撲をとるということは具体的には?
相手より先に手をついて自分の立ち合いをすること、そして相手より先に当たる。その流れで一発で持っていく、ということだけを考えました。相撲は体に染みているんで、その後のことは体が勝手に動くんです。そうすると考えることが減っていくので集中できる。

―幕下昇進を決めた相撲は覚えてらっしゃいますか?
はい。当たることに集中して、当たって右にいなしたら相手が落ちて。

―幕下昇進の場所も6勝で勝ち越しました。30歳を過ぎて幕下昇進した力士が、昇進の場所で勝ち越すというのは史上初という記録でもあります。
本当にうれしかったですね。自分の相撲をとりきれたと思います。

―幕下昇進のときの駿馬さんのインタビューで私の心に刺さった言葉があるんです。「心の張りは体の張り」っていうの、いつも自分に言い聞かせてます!
気持ちが前向きじゃないと体も張ってこないし、常に向上心をもってやるっていうことで。

―常日頃から思われてる言葉?
昔行ってたジムで「体の張りは心の張り」って書いてあったんですよ。でも、私は逆の考えで。ちょっとパクリになるんですけどね(笑)。

―繋がってますよね、心と体は。
はい。一致してないとダメです。

―相撲は心技体といいますが…。
その中でもまずは心です。技術や体があっても使えないと意味がないです。相撲は一瞬の勝負ですから、やっぱり心が一番大きいですよね。

―勝ちを意識すると心が崩れる?
そうです。私は器用貧乏で、わりといろんなことができるタイプだったんですが、晩年はできることを減らしていって、最終的に立ち合いだけを考えるようになりました。まわしとるのもやめて、変な小技もやめて、足技もやめて。考えることが少なくなるとやることが決まってくるんで、全力で自分の持っているものを出しきれる。それで負けるならあきらめもつく。

―納得がいきますね。
はい。変なことして負けると納得いかないので、そこがなくなるとすっと相撲にのめりこめたというか、相撲に正直に取り組めたかなと思います。最後のほうになって、ちょっとずつ相撲を理解できるようになったように思います。シンプルだからこそ奥が深いというか難しいです。

―相撲が一番楽しかったのは最後の方ですか?
入門した数日と、幕下に上がった大阪場所と次の夏場所です。入門してすぐは楽しかったんですが、すぐにきつくなってしまった(笑)。あと、幕下に上がった2場所は力がみなぎって自分の力が相手に伝わってる感じがしましたね。充実してましたし、楽しかったです。

入門から部屋の移籍を乗り越え、30歳を超えて力士として充実した日々を送った駿馬さん。次回は兄弟子として付け人としてともに相撲人生を歩んだ照ノ富士関のお話をお届けします。お楽しみに!

駿馬赤兎(しゅんば・せきと)
本名は中板秀二(なかいた・しゅうじ)、昭和56年12月18日生まれ、石川県珠洲市出身。平成16年1月に間垣部屋に入門、同年三月場所で初土俵。平成25年三月場所後に部屋の閉鎖に伴い伊勢ヶ濱部屋へ移籍。平成29年三月場所、史上最高齢で幕下昇進、6勝1敗の好成績で、30歳以上で幕下昇進を果たした力士で唯一同場所にて勝ち越しを決める。令和元年五月場所で引退。

駿馬さんから素敵なプレゼント!
ご応募を締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。

開荷風ティッシュケース 2名様
サイドにそれぞれ「駿馬」「赤兎」の四股名が入ったティッシュケース。

駿馬さんプリントハンドタオル 2名様
凛々しい立ち合いのシーンがプリントされたハンドタオル。

<ご応募方法>
件名を「駿馬さんプレゼント希望」としていただき、お名前、メールアドレス、希望商品名、「おすもうさん」サイトでおもしろかった記事を3つご明記のうえ、info@osumo3.comまでご応募ください。締め切りは2019年9月15日まで! 応募者多数の場合は厳正なる抽選のうえ、ご当選者のみメールにてご連絡いたします。
*お預かりした個人情報は、適切に管理し、プレゼントの発送やサイト制作の参考にさせていただく以外の目的で使用いたしません。

撮影協力
喫茶ミカド
東京都墨田区江東橋3-6-10
伊勢ヶ濱部屋のすぐ近くにある駿馬さんはじめおすもうさん行きつけの喫茶店。手づくりのフードメニューも人気でランチタイムは満席に。駿馬さんはいつもアイスコーヒーを飲んでからごはんのパターンが多いそう。ランチタイムは料理にサラダ、みそ汁、飲み物がセットに。

Photo:村尾香織

この記事をSNSで共有する

コメントは受け付けていません。