引退記念企画! “駿馬赤兎”一代記 ③-弟弟子・照ノ富士のこと-

最高位・東幕下22枚目ながら、史上最高齢での幕下昇進、30歳以上での幕下昇進場所では初の勝ち越し力士という記録を打ち立てた元伊勢ヶ濱部屋所属の力士・駿馬赤兎さん。令和元年五月場所での引退を記念して、おすもうさんでは駿馬さんの相撲人生を振り返るインタビューを決行! 知られざる駿馬赤兎一代記第3弾では、弟弟子であり、付け人も務めた照ノ富士とのお話をお届けします! 最後に駿馬さんから素敵なプレゼントのお知らせもあります~。

 

兄弟子として付け人としてともに相撲人生を歩んだ照ノ富士

―照ノ富士関との出会いは間垣部屋時代ですよね?
はい。

―SNSで駿馬さんが入門当時の照ノ富士関に胸を出されている動画を拝見しました。
けっこうやんちゃだったんで(笑)。というのはあれですが、胸を出す人がいなくてですね…。私のほかに200キロの若青葉がいたんですが、胸を出すのが下手で私しかいなかったんです。私くらい身長が低いとぶつかるときも自然と腰が下りる。彼は腰高の相撲だったんで、そいういうのも意識してやってましたね。

―では、ちょうどいい稽古になっていたんですね。
そうですね。

―伊勢ヶ濱部屋に移籍してすぐに照ノ富士関が十両昇進を果たしますが、最初から付け人をされていたんですか?
そうですね。新十両の会見の朝、親方に呼ばれて「照ノ富士のことよくわかってるだろうし、申し訳ないけど付け人やってくれ」って言われて。今まで兄弟子には付いたことがありましたが、下の人に付いたことはなかったので、やっぱり……。

―プライドもありましたか?
はい、正直ちょっと嫌な部分もありました。でも、弟弟子が関取になったということで、悔しい部分もある反面、うれしい部分もありましたし、やるからにはちゃんとやろうと思ってやりました。

―照ノ富士関も入門して早かったので付け人とはいえ、いろいろと教える部分も多かったんではないでしょうか。
入門したての頃は、それこそ着物のたたみ方から、挨拶のこと。関取になったらテーブルマナーも必要になりますし。

―相談を受けることも多かったんでしょうか?
困った相談はいっぱいありましたね(笑)。

―恋愛相談とか!?
ありましたよ。人付き合いのことなんかもね。

―ちなみに照ノ富士関のことはなんと呼ばれていたんですか?
番付に応じて変えてました。関取に上がって十両のころまでは「ガナ」。幕内上がって「関取」、大関になったら「大関」。で、今は「ガナ」です(笑)。

―照ノ富士関は駿馬さんのことをなんと呼ばれてるんですか?
中板さんです。

―あ、駿馬さんじゃないんですね! 間垣部屋移籍組の呼出し・照矢さんは?
中ちゃん。最初はなぜか「まさし」ってよばれてました。

―え!?本名、秀二(しゅうじ)ですよね?
私も「まさし」ってなんですか?って聞いたら、自分でもよくわからないけどなんか「まさし」っぽいって(笑)。

―よくわかりませんね。でも、駿馬さんと照ノ富士関、照矢さんの三人はとても仲がいいというか、三兄弟みたいですよね。
照矢さんと僕は、照ノ富士が入門当時怒る役割で、きっと彼は僕らのこと嫌いだったと思いますよ(笑)。

―口うるさくて?
はい。本人も言ってましたよ。

―けっこう自由人なんですかね?
うーーん……。陽気っていうか、可愛い部分もあるんですがね。

今でも繋がっている駿馬~照ノ富士ホットライン

―相撲の面で何かアドバイスされた部分ってあったんでしょうか?
例えば、取組でこういう場合はどうしますか?とか今どこか変ですか?とか、聞かれたときに、基礎的なことでもう少し腰を落としたほうがいいとか、足を外側に広げて出したほうがいいとか、脇が甘くなってるとかっていうアドバイスはしました。

―入門当初から強かったんでしょうか?
鳥取城北高校で団体の優勝メンバーに入ってて、鳴り物入りで入ってきたわけですが、実際に相撲をとってみると意外と私のほうが勝ち越すくらいでした。

―相撲が粗かったということですか?
まわしを取ったら強いんですが、私はまわしを取らせない相撲だったので。でも、若いのでどんどん相撲を吸収していくんです。私のそんな相撲も1週間くらいで覚えられて勝てなくなって、次は前みつとって出し投げとかやってみたんですがそれでもまた勝てなくなって、相手の脇の下に入ってたすき反りとかしてみたりしましたが、それもきかなくなって。半年くらいで全く歯が立たなくなりました。吸収のスピードがすごかったです。

―入門して約2年で十両でしたね。
はい。移籍しても場所を追うごとにどんどん成長して、すぐにみんなが勝てなくなって。そういうのを見ているので、今は下に落ちていますが、絶対にやれば戻れると思います。

―そうやって発破をかけることもあったんですか?
これは下に落ちてからも本人に言いましたね。

―駿馬さんがいなくなったら発破をかける人がいなくなっちゃう!
そんなことないです。あの……電話してます(笑)。

―駿馬ホットラインがあったんですね!!
よく電話してますよ。何の気なしで電話することもありますし、おとといくらいに私の知ってる後援会の方とご飯食べてるって電話かかってきたり。序二段まで落ちた場所で初日の取り組みのすぐ後、仕事中で出られなかったんですが着信が10件くらい入ってて、折り返ししたら「おかげさまで初日勝つことができました。緊張しました」っていう報告電話でした。すごくうれしかったですね。

―今、照ノ富士関が幕下で駿馬さんの下がりを使っていらっしゃるのはどんな経緯で?
私、下がりを2本持ってて、いつも使ってたのは黄色の。もう一つはケガをしたときに照矢さんがくれたもので、紫のなんですが、それは巡業で使わせていただいてたんです。照矢さんが書いてくれた名前が入ってます。巡業用のは照ノ富士の明け荷に入ってたんです。で、来場所から照ノ富士が復帰するっていうので、準備してたら本人の下がりが見当たらなくて、まぁこれでいいかって自分のをそのまま入れておいたんです。

―ツイッターなんかでも話題になってましたね。
びっくりしました。

―なんかお守りっていうか。さらに照矢さんからのプレゼントだったって聞くと、駿馬さんと照矢さんと照ノ富士関の絆を感じます!
実はツイッターを見るまで自分でもすっかり忘れてたんですが(笑)……。でも、今はきっと私と照矢さんと一緒に戦ってるような気持ちでいてくれているんだと思います。

―照ノ富士関、名古屋場所で6勝でした! ご覧になっててどうでしたか?
取組はすべて見ました。場所ごとに調子が上がっているなと思いました。脇の甘い部分や腰高なところはありますが、全体的に前へ出ていたのが印象的でした。来場所以降も前へどんどん出る取り口が続けば関取に戻る日も近いと思います。

駿馬赤兎(しゅんば・せきと)
本名は中板秀二(なかいた・しゅうじ)、昭和56年12月18日生まれ、石川県珠洲市出身。平成16年1月に間垣部屋に入門、同年三月場所で初土俵。平成25年三月場所後に部屋の閉鎖に伴い伊勢ヶ濱部屋へ移籍。平成29年三月場所、史上最高齢で幕下昇進、6勝1敗の好成績で、30歳以上で幕下昇進を果たした力士で唯一同場所にて勝ち越しを決める。令和元年五月場所で引退。

駿馬さんから素敵なプレゼント!
ご応募を締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。

開荷風ティッシュケース 2名様
サイドにそれぞれ「駿馬」「赤兎」の四股名が入ったティッシュケース。

駿馬さんプリントハンドタオル 2名様
凛々しい立ち合いのシーンがプリントされたハンドタオル。

<ご応募方法>
件名を「駿馬さんプレゼント希望」としていただき、お名前、メールアドレス、希望商品名、「おすもうさん」サイトでおもしろかった記事を3つご明記のうえ、info@osumo3.comまでご応募ください。締め切りは2019年8月31日まで! 応募者多数の場合は厳正なる抽選のうえ、ご当選者のみメールにてご連絡いたします。
*お預かりした個人情報は、適切に管理し、プレゼントの発送やサイト制作の参考にさせていただく以外の目的で使用いたしません。

撮影協力
喫茶ミカド
東京都墨田区江東橋3-6-10
伊勢ヶ濱部屋のすぐ近くにある駿馬さんはじめおすもうさん行きつけの喫茶店。手づくりのフードメニューも人気でランチタイムは満席に。駿馬さんはいつもアイスコーヒーを飲んでからごはんのパターンが多いそう。ランチタイムは料理にサラダ、みそ汁、飲み物がセットに。

Photo:村尾香織

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