戦後8人目の番付書き手・木村要之助さんインタビュー前編

令和5年三月場所から、番付の書き手が木村容堂さんから木村要之助さんに引き継がれました。今回は戦後8人目の書き手となられた要之助さんに、そもそも行司になったきっかけから始まって、番付書きの助手時代のことや本番付を書くことの難しさなど、書き手にしかわからないさまざまなお話を伺いました。

 

元高見山の東関親方の一言がきっかけで行司に

 

―まずは入門の経緯からお伺いしたいのですが、ご出身は三重県ですよね?

はい。伊勢市です。父が元高見山の東関親方と知り合いで、大阪場所後の伊勢神宮奉納相撲のときはうちに泊まっていただくこともありました。

父が伊勢神宮の奉納相撲に携わっていたので、私も見に行ったりしてまして、そんなお付き合いをさせていいただくなかで、中学校1年生のとき、親方から冗談で「行司になれ」っていわれたんですよ。

 

―力士ではなく行司なんですね…。

私は当時背が低くて、中学校3年のときでも156センチしかなくって。当時野球をやっていたんですが、「お前は野球やってもだめだ」って(笑)。それで行司になれと。

私としては、中学を卒業したら高校に行って野球をやろうと思っていたので、それは冗談でおわったんです。

 

―野球少年だったんですね。お父様が相撲関係の方なら、相撲をやれとは言われなかったんですか?

とくに言われなかったですね。四人兄弟なんですが、みんな中学までは野球をしていて、その後長男は近畿大学に進んで、相撲部で今の若松親方(元朝乃若)とか朝乃翔さんと同級生でした。

 

―そうなんですね!

次男三男は野球で、高校野球でも知られた明野高校の野球部でした。次男は甲子園にも行きましたよ。

 

―ちなみに要之助さんのポジションは?

小学校のころはピッチャーをやっていたんですが、肘と肩をこわしてしまって、中学ではセカンドです。

 

―ちなみにどこファン?

当時は巨人と西武ですね。高校野球の影響で、〝桑田清原〟の影響が大きかったです。

 

―でも、野球はあきらめて相撲の世界へ?

中学3年の10月くらいに、親方が家にいらして、「中学3年生だよね。卒業したらどうするの?」って聞かれて、高校に行きますと答えたんですが、また「行司どうだ?」という話が出たんです。

ちょうどその頃、進路のことを考えていて、体も小さかったですし、肘と肩も壊してましたし、高校に行っても野球は無理かなと悩んでいたので、思い切って行司の道もありかなと思いました。

 

―お父様は相撲界に入ることは賛成でいらした?

「そんなに簡単じゃない。1週間よく考えろ」と。そして、「相撲界に行くとなったら帰ってくるところはない。その覚悟があるなら行け」と言われました。

 

―1週間考えた結論が入門だったんですね。

はい。父から親方に連絡してもらって、ちょうど10月の終わりで親方が九州に行かれていたので、九州の宿舎に遊びにいくことになったんです。実際に部屋を見せていただいて、場所も連れて行っていただき、そこでやってみようと決めました。

 

―入門は中学卒業後の平成2年三月場所ですね。

はい。その前の一月場所から研修が始まって、中学校3年生の3学期はほとんど学校には行かなかったですね。

ちょうどその場所は曙関が勝ち越して三月場所で新十両というときだったんですが、11月に部屋に遊びに行った時、初めて声をかけてもらったおすもうさんが曙関だったんです。当時幕下5枚目でした。親方も大きな方ですが、曙関はもう「大きいな〜すごいな〜」って思いましたね。「行司さんになるんだって。もしお腹がすいてたら上にハンバーガーがあるから食べにおいで」と気さくに話しかけてくれました。

出世されてからも、可愛がっていただいて、いろんなところに一緒に行きましたね。

 

行司の師匠・33代庄之助親方の名前を継いで要之助に

 

―行司の師匠はどなたになるんでしょうか?

33代の木村庄之助さんで、当時は朝之助を名乗られていました。ちょっと奇跡的な話なんですが、朝之助の親方と私の父がまったく同じ生年月日なんです。実は北の富士さんも一緒なんです。昭和17年3月28日。

入門してから、朝之助親方の付け人につかせていただき、本当に基礎を教えていただきました。父親のような優しい方でした。

 

―不思議なご縁ですね。入門当初は、要之助ではなく本名を名乗られていたんですね。

はい。木村真志と名乗っていましたが三段目のときに、朝之助親方が最初に名乗られていた要之助を継がせていただきました。親方の本名が野澤要一で、その要をとって要之助ということでした。

 

―きっかけはなんだったんでしょうか?

2代の容堂さん(のち30代木村庄之助、おすもうさんの相撲字講座講師でお馴染みの鵜池保介さん)が「要之助っていい名前だから継がせたらどうだ」と言っていただいて。

部屋の師匠の東関親方と朝之助さんは、2人とも師匠が前田山関(のち高砂親方)で兄弟弟子にあたるということもあって。

 

―2代容堂さんがとりもってくださったんですね。

2代の容堂さんは地方場所に行くと、よく下の行司たちを食事に連れて行ってくださったんです。そのときに要之助を継ぐ話が出て、よかったら朝之助さんに話してあげるよと言ってくださいました。

 

―朝之助の親方の反応は?

「本人が継ぎたいと言ってくれるなら」ということで、自分としては本当に尊敬する方なので、うれしかったですね。

 

令和5年三月場所から戦後8人目の番付書き手に

 

―番付助手になられたのは?

敏廣の親方(式守敏廣、のち36代木村庄之助)が今の容堂兄弟子さんと2人で番付書きをされていたときに、助手に声をかけていただきました。

正直、自分ではあまり相撲字は得意とは思っていなかったので務まるか不安でしたが、声をかけていただいた以上、努力してやるべきだと思ってやらせていただきました。

 

―もともと字を書くことはお好きだったんですか?

いえいえ、子どものころの自分のノートなんて、なんて書いてあるかわからないくらいで。よく番付を書きたくて行司になったという方もおられますが、私はまったくそれはなかったです。

 

―意外です。番付書きは書き手と助手2人の3人体制なんですね。

私が助手になって7年ほど敏廣の親方、容堂兄弟子さんとの3人体制で、容堂兄弟子さんが書き手になられてからは、光之助さんに入ってもらって3人体制でした。

 

―取り組みの電光掲示板は助手の方が書かれているんですか?

助手だから書くわけではないんです。私は、助手のころは地方場所のを書かせていただいていて、今は国技館のを書いています。行司会で決めています。

地方場所は十両や幕下の行司が書いています。今は勘九郎さんです。

 

―東京はもうほとんど要之助さんの字ですか?

いえ、半分かそれ以上は容堂兄弟子さんのほうが多いかもしれません。

 

―今回番付書き手を引き継がれましたが、どのような流れだったのでしょう?

幕内に上がったときに、書けるように心構えはしておいてほしいと言われていました。書き手に何かあったときは助手が書きますから、助手になった時点で何かあったときは対処しないといけない。常に書ける体制はできていました。

番付は書き上がると協会に納めに行くんですが、今年(令和5年)の一月場所の番付を納めに行く際、容堂兄弟子さんから「これで最後にしようと思っている。協会に承諾されたら、書き手を譲りたい」と言われました。その後、協会に報告承諾されて、三月場所から正式に書かせていただくことになりました。

 

―新しい助手はどなたが?

秀朗さんです。

 

―書き手が助手を指名されるんでしょうか?

誰を助手にするかは容堂兄弟子さんにも相談して、最後は行司会で決めることになります。相撲字が書けることはもちろん、番付は発表までは極秘情報ですから、その点も守れる人でなくてはダメなんです。

 

―なるほど!

奥深い番付書きのお話、次回は本番付を書く難しさについてお届けします。お楽しみに!

 

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村要之助(きむら・ようのすけ)
三重県伊勢市出身 東関部屋→八角部屋
平成2年三月場所、木村真志として初土俵。平成6年木村要之助を襲名、平成27年五月場所で幕内格に昇進。令和5年三月場所より番付書き手を務める。

Photo:Kaori MURAO

 

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